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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/06/18のブログ 御祭館 七草木館 守山城
所在地
 福島県田村郡三春町大町、山中ほか
歴史、人物、伝承

戦国期田村氏の本城
 「田村麻呂旧跡物語」「田村家記録」などによると、戦国大名田村氏が守山城よりこの地に城を築き拠点を移したのは、田村義顕が当主であった永正元年(1504)と伝わっている。
 天正18年(1590)の豊臣秀吉の奥州仕置により田村氏は改易され、その後、伊達氏、蒲生氏、上杉氏と領有が変遷し、寛永4年(1627)加藤嘉明の次男明利が3万石で入封し三春藩となる。翌年松下氏が入封し城下町が整備されるが正保元年(1644)に不行跡を理由に改易され、秋田俊季が常陸より5万5千石で入封しそのまま明治維新を迎えた。
 なお田村家は伊達政宗の正室愛姫が田村氏の出身であったことから、愛姫の遺言により承応元年(1652)に仙台藩主伊達忠宗の三男忠良(愛姫の孫)により再興継承され初めは岩沼を所領としその子建顕の代に一関に移り明治維新まで存続した。因みに初代一関藩主は「伊達騒動」の主役となった伊達兵部宗勝であった。

確認可能な遺構
 本丸、2の丸、東館、石垣、帯郭、腰郭、竪堀ほか
文化財指定
 三春町指定文化財
訪城年月日
 2008年6月18日
訪城の記録 記念撮影

( 2008/08/24 )
 情報の収集
 まず始めに入館料350円を支払い町立歴史民俗資料館に立寄り情報と資料の収集を。 やはりある程度の規模の城館跡は縄張図などの基礎資料は不可欠のアイテム。 事前に情報だけは入手していたものの、町史関係の書籍がディスカウントされて何と1冊1800円という格安さ。 このため古書サイトよりも遥かに安い価格で新品を入手。然しよくよく考えれば古書店側の良識の問題のようにも思えるのでありました。また、格安で書籍を購入した勢いで如何にも観光客らしく「三春駒」のストラップも購入。
  ここで資料館の方に頼み込んで厚かましくも事務室から三春城の全景を撮影することに成功。 後日自分の撮影した画像と城郭関係書籍掲載のものを比較した限りでは、遠景画像は概ねこの位置からのもののようでした。尤も他に確実に遠景を撮影出来そうな場所が見当たらないので、当初からの予定行動ではありましたが。
 さて肝心の城跡遺構に関しては石垣関係は部分的に残存していることを確認。 主郭、二の郭への小口脇及び主郭東側辺縁部(⇒ただし「三春町史」では「石切り場の露岩」と記されています)に残存しておりました。然し 復興された本丸櫓台石垣は何処と無く不全な感じが拭えず、少なからず周囲の景観にそぐわない様な印象を受けてしまうのでありました。
  寧ろ主郭東側直下の出郭周辺の帯郭、腰郭、切岸状地形などの方が遥かに印象に残ることとなりました。しかしこの周辺に余りの時間を費やしてしまったために、主郭大手口付近、東館方面を確認する時間的余裕が完全消滅することに(汗)
 この後の予定時間を考慮するとこれ以上の長居はできそうもなく、また季節柄樹木の繁殖も盛んなため再訪することを心に刻みつけ次の目的地へと移動。 竪堀遺構などの確認ならば観光シーズンと重なる可能性が懸念されるものの、10月下旬頃の再訪も一考に価するやも知れないと感じたのでありました。

「三春城主郭(本丸)」 ⇒ 画像クリックで拡大します
三春城本丸遠望
( 2008/06/18 三春町立歴史民俗資料館方向より撮影 )
訪城アルバム
「三春城搦手口の石垣遺構」 ⇒ 画像クリックで拡大します
「三春城本丸下の現地解説版」 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 搦手口の石垣遺構
 時代は全く異なるものの北方に所在する小浜城の廃城後の石材転用を目的とした石垣の撤去という事情を考慮すると、近世の絵図等にも示されているように石垣の普請は現存の状態よりも遥かに広範囲にわたっていたものと推定されます。
 なお関係資料などにれば、これらの野面積による石垣遺構は主に蒲生氏の時代に普請されたものと考えられている模様です。

 「本丸表門付近の坂」の拡大画像へ

凸2 舞鶴城址(三春城址)の石碑と解説板
 城山公園として解説板、標柱などひと通りの整備がなされてはいたものの、遺憾ながら近年の財源不足の影響などもあるらしく設置されているトイレなどは使用不可。腹具合不調のため、止む無く麓の公衆トイレへと急いだのであります(冷汗)

戦国期田村氏時代の二の郭
本丸(主郭、二の郭)への小口
⇒秋田氏の入封以前と思われる大広間跡
⇒二の郭から見下ろした三春町の中心街
⇒近世の大門跡
 

「本丸東側の石垣遺構」 ⇒ 画像クリックで拡大します
「本丸東側の石垣遺構を含む切岸部分」 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 草木に埋もれる石垣?のような露岩
 本丸辺縁部の傾斜角度は45度前後を測り、少なくとも高さにして5m前後の石垣が普請されていたとしても良さそうに見えてしまいまが、「三春町史」ではこの部分を近世初期の石切り場と推定し、かつ自然石の露岩である旨を記しています。
 ⇒確かにそう言われれば石垣のようにも見えなくもない露岩でありましたが、斜面の形状は切岸を形成しています。
 なお何時もの事ながら、この時もまた右膝と足首の状態が芳しくはなく、やっとのことで斜面部分に体を移動。とにかく慎重に滑り落ちないように懸命に踏ん張って撮影しておりました(汗)
凸4 左同
 現在はこの画像のように天端部分の2段ほどの大石が、半ば草木に埋もれつつも所々に確認することができます。
 あくまでもこの斜面の角度から想定しますと、その下側部分についても本来は石垣が普請されていたようにも思いたくなります。しかし「日本城郭大系」に収録されている「三春城」絵図には、本丸東側と北側には石垣が描かれずに切岸状の崖のような地形が示されているのでありました(苦笑)
 この個所が採石のための石切り場であるとすれば、この切岸状の地形さえも近世以降のものなのかということになるのでありましょうか。

「本丸直下東側の帯郭周辺」 ⇒ 画像クリックで拡大します
「本丸直下東側の帯郭周辺に残存する石垣」 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸5 本丸東側の帯郭群
 数段に構えられた帯郭と腰郭から構成されていますが、現在は半分ほどの区域については整備のためか、危険防止のためか定かではありませんが立入り禁止となっておりました。
 右側「凸6」の画像のように本来は石垣によりこれらの段築が普請されていたのかどうかは定かではありません。

凸6 帯郭周辺に残る石垣
 左側の帯郭群のやや北側に位置した個所に高さ約2m延長約10mほどの年代不詳の石垣が存在しています。然し搦手口及び本丸辺縁部に残存しているものと比較しますと正直幾分粗雑な印象も拭えません。
 一部に巨石も混じっていることからみて恐らくは城郭に関係する遺構だとも思われますが、何処か大雑把な普請に見えたのでありました。

交通案内

・三春町役場北東に所在する比高差約90mの山城、中腹まで車通行可能、駐車場約20台

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島」(2002/東洋書林)
「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社)
「ふくしまの城」(鈴木 啓 著/2002/歴史春秋出版)
「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)
「定本日本城郭事典」(西ヶ谷 恭弘 編/2000/秋田書店)
「日本城郭辞典」(大類 伸 監修/1992/秋田書店)
「日本の名城・古城事典」(1989/TBSブリタニカ))
「国別 城郭陣屋事典」(2002/西ヶ谷 恭弘 編/東京堂出版)
「ビジュアルガイド日本の城」(2005/小学館)
「国別戦国大名城郭事典」(西ヶ谷 恭弘 編/1999/東京堂出版)
「中世・戦国 江戸の城」(2004/新人物往来社)
「新・日本名城図鑑」(2001/新人物往来社)
「江戸三百藩 城と陣屋総覧 東国編」(2006/学研)
「新撰 日本の名城」(2007/新人物往来社)


郷土史関係等
「図説福島の歴史」(1989/河出書房新社)
「会津・仙道・海道地方諸城の研究」(1980/沼舘愛三編著/伊古書院)
「福島県の歴史散歩」(2005/山川出版社)
「福島県の歴史」(1997/山川出版社)
「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店)
「国史大辞典」(1986/吉川弘文館)
「日本史諸家系図人名辞典」(2003/講談社)
「戦国大名系譜人名事典」(1985/新人物往来社)
「三春城と仙道の城(展示図録)」(1998/三春町歴史民俗資料館)
「ふくしま紀行 城と館 武者たちの舞台 上巻」(2007/福島民報社)
「三春町史1通史編」(1982/三春町)
「三春町史7中世資料編」(1978/三春町)
「戦国武将合戦事典」(2005/吉川弘文館)

史料
「日本城郭史料集」(1968/大類 伸 編集)
 ⇒諸国廃城考、諸国城主記、主図合結記を所収し、三春城の絵図も掲載されているが余りにも簡略なため史料には不向き

「復刻版 奥州永慶軍記」(2005/校注 今村義孝/秋田無明社)
 ⇒ 戸部正直が元禄11年に稿了したとされる近世の軍記で、奥羽両国の旧記と古老の見聞直談を採集したとされる。復刻の元になった刊本は1966年に人物往来社から刊行されたもので、自筆本は存在しないことから写本および史籍集覧等を底本としている。

その他
福島県文化財データベース
三春町役場公式HP
「室町期 南奥の政治秩序と抗争」(2006/垣内和孝 著/岩田書院)
 ⇒ 篠川・稲村公方に関する論考に始まり二本松氏、塩松石橋氏、、二階堂氏、岩城氏、芦名氏、白川結城氏・小峰氏、田村氏、伊東氏・相良氏の15世紀から16世紀の動向を詳細に記述するとともに、これらに関連する中世城館等についても概括的に論究している。田村氏の家臣団についての史料に基づく論考が収録されている。


・2008/08/25 HP暫定アップ
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