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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2015/10/19のブログ 駒屋古館 石橋館 駒屋館
所在地
 福島県郡山市三穂田町駒屋字四斗蒔
歴史、人物、伝承

笹原川南方の監視には相応しい地理的条件
 駒屋集落の南西部四斗蒔集落の外れに所在する旧村社格を有する八幡神社であり恐らくは村の鎮守であるものと考えられる。
 慶安寺境内南側の高さ約4メートルほどの基壇上に当該社殿が存在し、 付近の平地面との比高差は8メートルほどを測るとともに、南方を流れるの笹原川の河原との比高差は12メートル以上を有する丘陵地帯を形成し、南方の眺望に優れているという立地条件を有している。
 安積三郡の地域は戦国時代後期には北からは伊達氏、東からは田村氏、西からは葦名氏、南からは二階堂氏の侵攻圧力を受けていた時期があり、安積伊東氏の一族はその結束を図るには至らずこれらの勢力による草刈り場の様相を呈するに至った。
 こうした時代背景とその立地条件などを考え合わせ場合に、下郷の南端域に所在するこの笹原川北岸の眺望に優れた地点に何らかの軍事的備えが置かれた可能性が想定されるのではなかろうか。

確認可能な遺構
 八幡神社の基壇
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2015年10月19日 午前9時20分から9時45分頃まで
訪城の記録 記念撮影


 物見には好適地ですが...
 城館などに関連するような伝承、昔話の類は見当たりませんが、社殿西奥の尾根続き部分は緩やかな鞍部を形成し、より標高のある西側の丘陵に連なってしましたが、その先は踏み跡もなく鬱蒼とした雑木林が続いていました。
 そうした個所に仮に堀切でも確認できれば申し分ないのですが、無論城館跡などの情報も無く、あくまでも単にその地形そのものに着目してもののついで立ち寄っただけのものでした。
 ちなみにここから1キロメートルほど南西に向かった地点に安積郷の総社でもある旧郷社格の和気神社(わけじんじゃ、宇奈己呂和気神社=うなころわけじんじゃ、郡山市三穂田町八幡町)が所在し、関ヶ原合戦時の上杉景勝による願文や、伊東高行、葦名盛高、葦名盛氏、蒲生氏郷らの社領200石の寄進状が伝わっているということです。
 なお「駒屋八幡神社」はあくまでも他の八幡神社と区別するためにつけた便宜上の仮称で、本来は村社八幡神社、あるいは八幡神社が正しい呼び方なのかもしれません。

( 2016/6/1 記述 )
「駒屋八幡神社」 ⇒ 画像クリックで拡大します
八幡神社の基壇
( 2015/10/19 撮影 )
訪城アルバム
「駒屋八幡神社」 ⇒ 画像クリックで拡大します
「駒屋八幡神社」 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 あ、石垣が...
 どこか小口のような作り方ですけど...
凸2 んな、ことはなくて...
 当然のことながら、あくまでも石垣は後世のものです。

「駒屋八幡神社」 ⇒ 画像クリックで拡大します
「駒屋八幡神社」 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 八幡神社拝殿
 見れば見るほどいい雰囲気なのですが、神社の境内は東西方向に長い楕円形で上下2段に分かれています。
凸4 堀切が...ない
 この箇所がもう少し比高さが欲しいところですが、集落の共同墓地への近道となっているため、地形改変が加えられている可能性を期待したいところです^^

「西館、東館方面の遠望」 ⇒ 画像クリックで拡大します
「八幡神社の台地」 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸5 西館、東館方面
 西館、東館、本丸館などの方角ですが、現状ではこうしたこんもりとした林に隠れてよく見えませんが比高差のあることだけは分かりやすい画像です。
凸6 八幡神社の台地
 水田面からの比高さは約8メートルほどで、笹原川からの比高差は12メートルを遥かに超える河岸段丘です。

「付近のコスモス」 ⇒ 画像クリックで拡大します
「付近のコスモス」 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸7 付近のコスモス
 城館探訪の際には、多くはこういったような按配で草花などの画像も撮影しながら回っておりますので必要以上に時間を要しております。
凸8 付近のコスモス
 バラバラの方向を向いて咲いているようにも見えますが、このようにおおむね太陽の方向を向く習性もあるようです。

「付近のコスモス」 ⇒ 画像クリックで拡大します
「西畑館」方面 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸9 付近のコスモス
 コスモスの咲く季節は微風が吹くことが多いので、結構ピント合わせに苦労します。この画像は左手でコスモスの茎を抑え、右手だけでデジカメを操作しております。
凸10 西畑館方面
 ときどき本業の方も忘れないように撮影。水田のすぐ向こう側で笹原川が東流しています。

「付近のコスモス」 ⇒ 画像クリックで拡大します
「付近のコスモス」 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸11 付近のコスモス
 四連のコスモスを見つけました。
凸12 付近のコスモス
 夫婦コスモス。

「八幡神社の参道」 ⇒ 画像クリックで拡大します
「字四斗蒔」 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸13 八幡神社の参道
 この東側からの参道が本来の参道であったものと思われますが、現在では北隣側の慶安寺側から参拝する方が比高差もなく便利になっています。
凸14 字四斗蒔の表示
 こういう住所表示は、所在地を確認できるだけでなく、あとあとの記憶を呼び覚ますきっかけにもなりますので大変助かります。
交通案内


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いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図
凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島」(2002/東洋書林)
「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社)

郷土史関係等
「会津・仙道・海道地方諸城の研究」(1980/沼舘愛三編著/伊古書院)
「福島県の歴史散歩」(2005/山川出版社)
「福島県の歴史」(1997/山川出版社)
「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店)
「郡山の歴史」(旧版 2004/郡山市) 
 応永11年(1404)の安積伊東氏一揆連判状では、この地に関連している人物として伊東氏の一族とされる「河田左衛門尉祐義」の名が見られる。
「郡山の歴史」(新版 2014/郡山市)
 近年における発掘調査の成果などを含むが、旧版で収録されていた中世の政治動向などが割愛されている部分もある。

史料
「積達古館弁巻ノ五安積郡」(「郡山市史8資料編」より)
 「駒屋村館 里老伝に安部美濃守居城也云々」との記述があり、近世に編纂された地誌に僅かに伝承が記されている。
「文禄3年(1594)蒲生領高目録」(「郡山市史8資料編」より)
なおこの他に、「中世城館調査報告書」によると、旧名主である山岡家に絵図を含む「山岡家文書」という古文書が伝わるとされているという。

その他
福島県文化財データベース「まほろん」
郡山市役所公式HPなど
「室町期 南奥の政治秩序と抗争」(2006/垣内和孝 著/岩田書院)
 ⇒ 篠川・稲村公方に関する論考に始まり二本松氏、塩松石橋氏、、二階堂氏、岩城氏、芦名氏、白川結城氏・小峰氏、田村氏、伊東氏・相良氏の15世紀から16世紀の動向を詳細に記述するとともに、これらに関連する中世城館等についても概括的に論究している。
 このほか伊東氏をめぐるその系譜と伊東氏の主たる領地である安積三郷(五百川以南で藤田川以北の上郷、藤田川以南逢瀬川以北の中郷、逢瀬川以南笹原川以北の下郷) の同氏の支配関係を考察する論考も掲載されている。


・2016/06/01 HPアップ
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