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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2015/10/19のブログ 駒屋古館 石橋館
所在地
 福島県郡山市三穂田町駒屋字舘ノ後
歴史、人物、伝承

大槻伊東氏関係の館跡か
 駒屋地域は蒲生氏の支配がにあった「文禄3年(1594)蒲生領高目録」にはすでにその名が記されてはいるが、「下 駒屋 397石8斗4升」(※下の表記は収穫の多寡を示すものか、或いは安積三郡の上中下を指すものなのかどうかは不明。ちなみにこの地は笹原川と支流の西の川との合流点に近いことから、特に近世以前には水損の影響のあったことも想起される)と記されていることから、当時の村落としての生産規模は周辺の地域と比べてそれほど大きいとはいえないものと考えられる。
 なお、所在地の字名表記については、「館ノ後」(「城郭体系」)、「舘ノ後」(「まほろん」)、「館」(「中世城郭調査報告書」)」などの間で異同があるが、ここは現行での小字表記に従った。また関連地名として「館ノ西」があるが、その領域は不明であった。
 「日本城郭大系」の記述によれば安田美濃守の居館とされている。 また駒屋の地名からは、ことによると近辺に「草喰内」(くさくろうち)などの字名も遺されていることから、ことによると「野牧」などの放牧場の存在との関わりも類推できるのかも知れない。
 「城郭体系」では「安田美濃守の館」、「積達古館弁」では「駒屋村館 里老伝に安部美濃守居城也」などの記述があるが、その後の蒲生氏支配期には「横田八郎兵衛」の領地となっていたことが「文禄3年(1594)蒲生領高目録」に記載されていることが判明している。

確認可能な遺構
 屋敷構え北側付近に堀跡?、土塁跡? 平地に立地していることから余り防御性は高くはない
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2015年10月19日 午前8時50分から9時20分
訪城の記録 記念撮影


 微かな遺構の面影を留める
  現状の地形からは福島県文化財データベース(以下「まほろん」と表記)で示されている城館領域と駒屋の小字名から呼称されたと推定される「石橋館」との違いが判然としていません。
 しかし、「まほろん」などでは所在地を「字舘ノ後、たてのあと」と表記しており、当該小字については県道55号線と47号線の交差するJA郡山三穂田総合支店が所在している駒屋交差点北西付近(駒屋地区の中心部)を指しているものと考えられ、後日マピオンなどのウエブ地図で確認したところでもそのように表記されておりました。
  さてその近辺を拝見してみますと、旧家思しき民家の北側、水田との境界に屋敷林と思われるような細長い平地林が残されており、もっとも平地に所在する城館跡としての景観に相応しい印象が感じられました。
  「まほろん」では以前土塁、郭の存在が確認されていることが示されていますが、現状からは下記画像のような微かに土塁の残滓のような地面の高まりが見て取れるのみでした。しかし近年までは恐らくその辺りに遺構が存在していたという印象が強く感じられました。
 駒屋地区にはこの駒屋館以外にも石橋館、駒屋古館を含む3か所の中世城館跡が所在していますが、これらが実際に使用されていた時期、歴史的経緯などについては不明な部分が多いようです。

( 2016/05/31 記述 )

「駒屋館」の遠景 ⇒ 画像クリックで拡大します
駒屋館方面の遠景
( 2015/10/19 撮影 )
訪城アルバム
「駒屋のバス停」 ⇒ 画像クリックで拡大します
「駒屋バス亭付近の向日葵」 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 駒屋のバス停(県道47号線沿い)
 もしも何の痕跡も見当たらなかったような場合に撮影している「保険」のようなものですが、あわせてバスダイヤも写しこんでおくと地域事情などを知る際に後々役に立つこともあります。
凸2 駒屋バス停付近の向日葵
 直接には関係のない道端に自生していた印象の遅咲きの向日葵ですが、こういった画像を撮影しておくと後々おぼろげな記憶をたどる際などに、ふっと大事なことを思い出すきっかけにもなります。

「北東部の丘陵」 ⇒ 画像クリックで拡大します
「駒屋館と思われる屋敷林」 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 北東部の丘陵
 笹原川の細い支流が麓を流れる河岸段丘で、余り比高さはありませんが地形上は有利な地形の一つですがこしした崖線が北西方向に約1.5キロメートルほど連続していました。
 防御性という点で中世城館などの立地に相応しい地形の一つですが、このライン上にはその存在は確認されてはいない模様です。
凸4 駒屋館と推定される屋敷林
 屋敷構えの北側方向に所在する防風林を兼ねた屋敷林と推定され、水田に沿接している部分にはかつての堀跡の名残のような雰囲気を醸し出しておりました。
 この屋敷林にほぼ並行するような形で、微かに土塁跡のような地表の様子が遺されておりました。

「堀跡のような僅かな窪み」 ⇒ 画像クリックで拡大します
「土塁跡のような地表の高まり」 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸5 堀跡のような僅かな窪み
 水田に接している部分なので地形が大きく改変されていることは間違いはないものと考えられますが、それでも屋敷林の形状に沿って湾曲した地形を僅かな窪みとともに認めることができます。
凸6 土塁跡のような地表の高まり
 画像のように微かな地面の凹凸の様子なので、画像の奥の方から見た場合にはほとんど気づかないような微妙な地形でしたが、それでも水田面からは30センチメートルほどは立ち上がっている地形でした。
交通案内


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いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図
凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島」(2002/東洋書林)
「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社)
「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)

郷土史関係等
「会津・仙道・海道地方諸城の研究」(1980/沼舘愛三編著/伊古書院)
「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店)
「郡山の歴史」(旧版 2004/郡山市) 
 応永11年(1404)の安積伊東氏一揆連判状では、この地に関連している人物として伊東氏の一族とされる「河田左衛門尉祐義」の名が見られ、伊東氏一族の通字である「祐」の一字が含まれていることは見逃せない。
「郡山の歴史」(新版 2014/郡山市)
 近年における発掘調査の成果などを含むが、旧版で収録されていた中世の政治動向などが割愛されている部分もある。
「」

史料
「積達古館弁巻ノ五安積郡」(「郡山市史8資料編」より)
 「駒屋村館 里老伝に安部美濃守居城也云々」との記述があり、近世に編纂された地誌に僅かに伝承が記されている。
「文禄3年(1594)蒲生領高目録」(「郡山市史8資料編」より)
なおこの他に、「中世城館調査報告書」によると、旧名主である山岡家に絵図を含む「山岡家文書」という古文書が伝わるとされているという。
「大槻家伝光録」(「大槻町の歴史」ほかより)
 江戸時代末期安政3年(1856)に編纂された同書によれば、鎌倉時代初期に鎌倉御家人伊東氏の所領の一つとなり、その後建武政権のころには伊東祐高が大槻地方を領有を続け、駒屋に富田美濃(伊東氏一族か)、山口に松井大学頭、針生に窪田掃部などを配置した旨が記されている。しかし同書は、あくまでも後世の幕末期に仙台角田藩家臣の大槻家末裔とされる大槻祐洋の手によるもので、その遠祖を顕彰するというような側面もあることから、史料としての限界があるという点について留意する必要も感じられる。
「大槻町の歴史」(2009/郡山市・大槻町合併55年記念事業実行委員会)
 大槻伊東氏に関する最も基礎的な事跡が数多く掲載されている書籍である。同書によれば、大永元年(1521)に会津の蘆名盛舜が大槻伊東高行に与えた知行状に、三穂田山口、駒屋をはじめとして逢瀬町多田野、芦ノ口、大谷、八幡、柴宮の在家名が記されているという。この文書については出典の明記はないが、「郡山市史8巻資料編」の中世史料349「伊東高行証状」(松藩推古)、350伊東高行知行充行状(相殿八幡神社文書)などによると、天文19年(1550)において引き続き山口の地が大槻高行の所領の範囲に含まれていたことを裏付けるものとなっていることが確認される。

その他
福島県文化財データベース「まほろん」
郡山市役所公式HP
「室町期 南奥の政治秩序と抗争」(2006/垣内和孝 著/岩田書院)
 ⇒ 篠川・稲村公方に関する論考に始まり二本松氏、塩松石橋氏、、二階堂氏、岩城氏、芦名氏、白川結城氏・小峰氏、田村氏、伊東氏・相良氏の15世紀から16世紀の動向を詳細に記述するとともに、これらに関連する中世城館等についても概括的に論究している。
 このほか伊東氏をめぐるその系譜と伊東氏の主たる領地である安積三郷(五百川以南で藤田川以北の上郷、藤田川以南逢瀬川以北の中郷、逢瀬川以南笹原川以北の下郷) の同氏の支配関係を考察する論考も掲載されている。


・2016/05/31 HPアップ
・2016/07/21 「史料」として「大槻家伝光録」、「大槻町の歴史」の各記述を追加した
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