( 2005/03/21 撮影 )
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■一昨日の体験から渋滞を避け早めに迂回路で出発した途端に、川越市の中福付近で季節風の砂嵐に直面しました。この地域一体では、この時期そんなに珍しいことではありませんが、決して以前からこれほど酷かった訳でもありません。 その原因は 1.農薬・除草剤の散布と化学肥料の使いすぎによる土壌の無機質化。 2.冬から春先にかけての穀物づくりの定番であった麦作を含めた畑作の作付けが減少したこと。 3.防風林や畑の茶の木などが減少したことなどが考えられます。
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■麦原の集落の中の城山 ( 大築城 ) への最初の分岐。 ここで右に折れても、下の写真にある場所から右に折れても「モロドノ郭」に辿り着きますのでお好きなほうをお選びください....などと冗談を言えるのも大築城のリベンジに成功したから言えるわけで。 なお、こちらからのほうが歩く時間は倍ぐらいになりますが、歩きやすい比較的緩やかな登り坂です。
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■見れば見るほどに分かりやすい案内図です。これを頭に入れておくだけでも、自分のような見当違いは起こらないはずです。 |
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■上の写真の分岐から数百メートル上流方向に進んだところに、このような分岐があります。ここで右に折れないと一昨日と同じ結果に陥ります。 こちらの道のほうが猿岩峠経由ですが、車でかなり上の方まで入れますので比高差100mを克服すれば20分足らずで峠に到着します。いきなり急坂を登るのでゼイゼイ、ハアハア状態に陥らないようにゆっくりと呼吸を整えて登ることが肝要です。経験的に... |
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■林道は車のすれ違いが難しいほどの狭い部分もありますが、谷は数メートルとそれほど深くは無いので車ごと転落しても一命は取り留めるかも知れませんが、途中から舗装は無く砂利道となりますのでくれぐれも安全運転を心がけましょう。 谷が大きく開け上の尾根筋が見通すことのできる場所から林道は大きく左側に曲がり尾根筋を斜めに登っていきます。ここで、道路わきの山側に車を止めていざ訪城へ。 大築城への道はここから先ほどの林道と別れて、この写真のような木橋を渡って山中の急登に入りますが、20分前後であっけなく猿岩峠に到着します。山道を歩きなれていない方には少しきついかもしれませんが、時間をかけてゆっくりと登れば必ず到着します。 |
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■猿岩峠から反対側に下ると都幾川村の西平地区大椚の集落に下ります。また、写真の道を西に上っていくと道は尾根筋の南側をまきながら次第に高度を上げ1時間少々で、自分が2日前に彷徨した「馬場」付近の鞍部に到達します。 モロドノ郭で遭遇した花粉症気味の中年男性はこの道をマウンテンバイクを押して汗だくで登っていきました。おそらくはその先の奥武蔵グリーンラインまで行く様でした。 |
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■大築城へ向かう稜線南側の巻道の途中から、一昨日自分が彷徨していたピークが見える。右側の三角形の小さく黒く見えるのがそれです。 あのピークには2回も登ってしまったのですが、あそこでいくら城跡を探しても見つかるはずはないのでありまして... |
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■大築城 ( 城山 ) への分岐のある「モロドノ郭」です。すぐ上にある腰郭と合わせてこの場所自体が独立した小規模な山城になっている様な感じです。また、麦原の住吉神社方向から猿岩峠へつながる峠道を南北に挟み込んで防御する形となっています。なお、「モロドノ郭」という名称はは毛呂山町の豪族毛呂氏に因んだ地名と考えられているようです。 大築城への道は、この場所から今度は北に向かい、少し東にそれて今度は北側に、そしてさらに西へと、方向がくるくると変わります。従って縄張り図を持参していても、方向感覚が少しおかしくなるぐらいによく考えられた縄張り配置となっていますので少し注意が必要です。 |
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■モロドノ郭から百数十メートルほど進むと本郭方面へ左側の斜面を一気に登る道があります。一応本郭への近道ですがこれを無理して登らなくても100mほど先まで進むと左に曲がる緩やかな登道もありますが、その分岐には何も表示がありませんでした。 |
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■一昨日の平成17年3月19日に山中を彷徨していて「発見?」した稜線上の平坦地である「馬場」。確かに指道標には「右、城山」と書かれていました。しかし、登口の現在地を誤認したために、尾根筋は同じでしたが何と1キロも南西にある、標高も100mほど高い無名峰の周辺を2時間以上もうろついてしまったのであります。 尾根筋の南側のよく整備された林道や地名、風景になんとなく既視感があったので、昔の写真をよく調べてみたら40年ほど以前に来ていたことが分かりました。大築城から南西に稜線の南側の林道を50分近くだらだらと登った地点にあります。 |
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■本郭東側に所在する説明版。完結で分かりやすい説明が記されていますが、三行目は明らかに「つ」の部分は「って」の間違いではないかと(^^; |
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■本郭北側に残る土塁跡。長さは50mほどあるのですが、予め知らないと土塁であることを見落としそうなぐらいの高さしかありません。 尤もこのような四方が切り立った地形ですので、土塁など無くても大丈夫なようですが、それでも北側に土塁があるというのはやはり慈光寺方面を意識してのことでしょうか。 本郭は東西70メートル、南北20mほどの平坦で細長い地形です。 |
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■本郭から見える笠山 ( 右 )、堂平山方面の山並。笠山の手前に腰越城があるはずですが手前の山に隠れて見えません。 |
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■上田氏が焼討をしたとされる慈光寺方面だと思います。 |
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■本郭の東側の郭からから見た様子で、写真では分かりにくいのですが比高差は最大で3m近くあります。 |
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■小口郭の東に位置する大規模な堀切跡。この堀切の規模を目の当たりにすると慈光寺の攻略のためだけに築城されたと考えるのは攻撃のための拠点としては少し無理があるような。 |
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■こちらは東側の腰郭を一つ挟んだ別の堀切跡。防御施設としては十分すぎるぐらいです。モロドノ郭まで上がってくるののでさえ、かなりへたばりますので、当時の足回りの装備や山道の状態を考えると、備えあれば憂い無とは言うもののここまでの防備をこの峻険な山上に施す必然性はどういった状況下で発生したものなのでしょうか。 |
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■一つ前の堀切の山側部分は比高差にして10m近くあり、勾配もどう見ても40度以上ありそうで、こんな険しい山城で何もそこまでしなくてもというような備えとなっています。 |
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■モロドノ郭付近の北側の腰郭部分。直下が切り落とされていますので余り恥の方には近寄らないほうが良さそうな雰囲気です。踏み外せばそのまま数十メートルは落下していきます...たぶん。 |
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■猿岩峠から北東に向かって直接本郭に登る道もあるようですが、道も踏み跡程度で勾配も険しく余りは行く人はいないようです。右側の道が通常のモロドノ郭へ至るメインルートで、左側の尾根伝いの道は踏跡も微妙で勾配のきつい本郭への難ルートです。歩きなれていない方は必ず右側のルートをお進みください。 |
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■車を止めた場所から猿岩峠付近の稜線を望む。城山への登山口は右側の杉の樹林帯の中を登っていきます。 右側の杉木の上方の茶色く見えるのはスギ花粉の塊です。 |
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■麓の近くの越生梅林では、そろそろ終わりのシーズンを迎えているようです。 |
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■折からの強風で杉の花粉も飛んでいましたが、梅の花びらも大分地面に散り始めていました。 |
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