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大久保城
関連ページのリンク  2004/12/23の日記  福岡城(城山)    
所在地
埼玉県富士見市東大久保金子街道付近
歴史と沿革

■「新編武蔵風土記稿」によれば大久保村は以前は大窪村と書かれていたそうで、城跡については「古城蹟 村の北河越往還の東側にあり、城蹟とのみ伝えり、何人の居城なりしや...」と記されている。
■「富士見の散歩道」に収録された郷土史家の見解によれば、「小字金子街道」と呼ばれる地域が城跡で「金子」という名称は難波田氏の祖先の名称であり、「街道」とは「カイト」の訛りで「垣内」(土豪の館)を意味しており、難波田城に本拠を移す以前の難波田氏の本拠地であったという。 (詳細は「富士見の散歩道」74頁に掲載)
■「富士見市史通史編 上」では、この見解に対して小名の「○○ガ谷戸」などが「街道」に転化したものとするとともに、「小田原衆所領役帳」に「55貫文 入東大窪郷 大窪丹後、同内匠助、同勘解由」と記載されていることから、大窪氏の館であろうとしている。
 ただ、難波田氏の衰退後に大窪氏が築いたのか、難波田城の出城を利用したのかは不明であるとしている。

確認できる遺構
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■水田の耕地整理とびん沼、新河岸川放水路の工事などにより、この付近一帯の地形が大きく変わっている。しかし旧新河岸川とびん沼に東西を挟まれた地形であったであろうことは容易に推測される。
■富士見市では歴史上何度かの大水害が発生しており、天明6年(1786年)、弘化3年(1846年)、明治43年(1910年)、昭和41年(1966年)6月の台風4号による被害が大きく、明治43年の時はびん沼が決壊し死者も発生する大惨事となったとのことである。
 このために堤防の工事、流路の改善や調整池の工事が行われることとなった。

参考資料、古文書、
記録

「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「富士見市史 通史編 上」(1994年 富士見市教育委員会/編集・富士見市/発行)
「富士見市史 資料編2考古」(1986年 富士見市教育委員会/編集・富士見市/発行)発掘当時の記録、多門氏についての記述が詳しい。
「郷土ふじみ第2号」(1972年 富士見市郷土史同好会/編集・発行)
「富士見風土記」(1980年 富士見市教育委員会/編集・発行)
「神社と神々」(井上順孝監修 1999年/実業之日本社刊行)
「民間信仰辞典」(桜井徳太郎編 1980年/東京堂出版刊行) 
「富士見のあゆみ」(1982年/富士見市編集発行)
「富士見のさんぽ道」(1973年/富士見市郷土史同好会編集発行)     

文化財指定
訪城年月日
2004/12/23
訪城の記録

( 2004/12/23 )
中世の交通の要衝か
 この辺りは近世以降の水田整備などに加えて、30年ほど前になると思いますが大規模な河川改修が実施されました。何の遺構も見当たらないというのはまさにこのことで、水田と点在する農家以外に見事に何もない場所です。
 この場所で、唯一良く知られているのは城跡などではなく、「びん沼」という池沼釣りのちょっとしたメッカになっていることです。当日は天皇誕生日の祝日ということもあり、400人以上は来ていたでしょうか。土手の上は車が満車、川岸は釣り人がズラリと並んで糸をたれて、ある意味で壮観な風景ではありました。
 また、この場所は金子街道と呼ばれる小字がもありますがこれは「カイト」あるいは「ガ谷戸」が転化したものらしいようですが、それは別にしても上福岡の川崎、長宮城、富士見市の難波田方面からさいたま市方面へ向かう水運も含めた交通の要所にあるといえます。

Best Shot?



 金子街道と呼ばれる辺りの風景。
 長く河川の氾濫による水害に悩まされていた地域なので、宅地自体を数十センチ程度土塁のように嵩上げし、その縁をリュウノヒゲを植えて補強している農家が多くて、「おっ、土塁の遺構が....」と勘違いしそうな地形があちこちに(^^;
 ( 2004/12/23 撮影 晴 )
交通アクセス

・難波田城方面より新河岸川に沿って県道113号線を北上し東大久保の交差点の手前辺りが城跡のようです。 


( 2004/12/23 撮影 )

■大久保城の東側を荒川に向かって流れる、大きく掘削され堤防が整備された「びん沼川」。
 この辺りは釣り客は余りいないのですが、大久保の交差点の北側はかなりの賑わいを見せていました。
■「びん沼川」の土手にある河川改修の説明版。
■城跡とされる地域の北方にある新河岸川放水路の北側の集落。
■「金子街道」という地名のあるあたりの集落で、水田地帯にこのように農家が点在しています。
 
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