( 2005/03/21 撮影 )
|
■北東の能満寺側から見た高谷砦の本郭部分 ( 写真の左側 ) 。昨年の初冬登口が分からず、この勾配を無理やり這い上がろうとしましたが、全く無謀な挑戦でした。
|
|
■行く手を阻むマムシに注意の立て看板。こちら側の部分は谷津と丘陵の間に細い水路があり湿地帯となっている個所も多くマムシの生息するには好都合の環境のようです。 間違ってもこちらから登ろうなどというような気持ちを起こさないように。どうしても北側から登りたいときにはかなり遠回りですが、「みどりが丘」の住宅地の方から迂回してください。尾根筋を間違えなければ到達するはずです。
|
|
|
■登口は国道254線小川パイパスの南側にあります。 高谷の信号を渡るかバイパスの地下道を潜って、バイパスの南側にある北側に水路を伴う細い町道を西へ進むと、この馬頭観音の石碑のある場所にでます。 高谷の交差点からは大体800mほど西の地点です。 |
|
■馬頭観音のある丁字路を右折して坂を上り、バイパスに架かる「上の山橋の陸橋」を越えます。 3軒ほどの集落のための専用の陸橋ですが、私道ではなさそうなのでとりあえず安心して進んでいくきます。すると民家の庭先のような場所に出てしまいますが、物置のような建物の左脇に高谷砦への道があります。人様の庭先を横切るのですから、顔を合わせたときにはご挨拶を。 ただ、よく吠える元気なやや大型の犬がいます。これがマムシに続く第二の関門で、犬に吠えられたくない方は、一度陸橋を渡ってから左側の畑の方に下りてから、左側の尾根に取り付いて正面に見える鞍部に向かえば大丈夫なはずです。 |
|
|
■東西の郭の中間にある鞍部へと向かう山道は見通しが悪いのですが、竹林の中を辿っていくと3分ほどですぐに竪堀風の堀切のある個所に到達します。 |
|
■資料などには記されていませんが、腰郭状の地形が竹林を行く山道の南側にあります。 自然の地形だろうか、後世の竹木の切り出しのための削平地なのだろうか、それとも..... |
|
|
■前の写真の場所を横から撮影すると、こんな感じなのですけど... |
|
■堀切か竪堀かと、よく見ると正面には小規模ながらも一応土橋風の地形があるのでこれは空堀兼竪堀ということになるのでしょうか。山城だから横堀というべきか。 |
|
|
■みどりが丘の住宅地方面に抜けると思われる尾根筋の道が、西の二の郭から北西方面に伸びています。遺構とは関係なさそうですが、見事な痩せ尾根の形状ですので、これを堀切れば防御性はかなり向上すると思われるのですけど、そのような形跡は微塵も見られませんでした。 |
|
■尾根筋を縦に掘り切っているのでこれは堀切ということで。 この場所は本郭の西側にあり、堀切と本郭の比高差は最大6メートルほどですが反対側の二の郭側は1mぐらいの比高差しかありません。なお、この場所から東へ登れば本郭なのですが道が無い....藪はありますが(^^; |
|
|
■二の郭の東側の小口部分をカバーする土塁部分で、この周辺がもっとも遺構がよく残されています。「小川町の歴史」ではこの場所を独立した郭として捉え、東側の高台に櫓の存在を想定しています。 |
|
■土橋北側の横堀風の遺構で、現在でも深いところでは人の背丈ほどあります。 |
|
|
■標高126メートルの二の郭の中央部分で東西40m、南北20mほどの長方形ですが、小口となる土橋の東側に先ほどの土塁を伴うやや西側に傾斜した20メートル四方の小郭があります。 |
|
■季節は間違いなく一歩ずつ春に向かっているようで、谷津の畑の端ではオオイヌフグリが小さな花を咲かせていました。 |
|
|
■陸橋を渡り坂道を下る途中から仙元山方面を望む。いずれにしても青山城は仙元山の陰になり見通すことはできません。 |
|
|
■町道脇の水路にはアヒルが4羽戯れていました。何故か1羽だけ離れた場所にぽつんと寂しく佇んでいました。どことなく、人間社会の縮図を見るようで... |
|
■北東の能満寺側から見た高谷砦の本郭部分。比高40mから50mなのでどこからでも登れそうですが、これがなかなか難しい。 |
|