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群馬県吉井町の城館索引へ戻る  天王原屋敷付近(推定) 天王原屋敷 多胡下城遠景
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/10/30のブログ 天久沢陣城 多胡下城 矢田城
所在地
 高崎市吉井町矢田字天王原(旧吉井町)
歴史、人物、伝承

小規模な方形館か
 上信越自動車道の建設に伴い1986年に発掘調査が行われ、その存在が確認された中世の屋敷跡とされています。当時の調査によれば東西46m、南北56mの方形で堀と土塁に囲まれ南側に土橋を伴う小口が所在していたことなどが記録されています。
 その時代背景や築造の経緯などについては明確さを欠いていますが、丘陵の北側約300mの地点には小林氏に関係すると推定される矢田城が存在していることもあり、同氏と何らかの関わりを有する一族の居館跡である可能性も想定されるものと思われます。

確認可能な遺構
 消滅(1986年発掘調査)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年10月30日 13時15分から13時50分
訪城の記録 記念撮影

( 2010/12/27 )
 遺構、記憶ともに消滅
 上信越自動車道を挟んで天久沢陣城の北西約250m、吉井ICの北東部の丘陵上の平坦地付近の地点に所在していた模様で、既に一部は道路建設などにより消失しているとのこと。1986年当時の調査当時には畑として残っていたとされるあたりも現在では概ね宅地化されており、その面影はまったくありませんでした。恰も数合わせのような探訪とはいえ、こうした光景を目前にしてテンションのゲージが大きく低下していったことを記憶しております。
 このため止むを得ず天王原の陸橋上より防護柵越しに「多胡下城」の遠景を撮影したりしておりました。なお、当時探訪した折には上信越自動車道北側の側道沿い宅地東側の耕作地付近を想定していましたが、群馬県文化財情報システムに掲載されている情報から確認する限りでは約50mばかりもう少し吉井ICに寄った西側の地点であったことが記されておりました。ただし何れにしても地表上の遺構は消滅していることは間違いないものと思われます。
 この日を含めて、この旧吉井町(現高崎市)方面は6回目の訪問となりました。こうして少しずつですが次第にこの方面における城館相互の位置関係が呑み込めてきたのかも知れません。なおこの日から数えて2週間ほど先に母が急死しましたが、人間の記憶というものは実に曖昧なものらしく、この更新作業の過程で前後関係などを含めて記憶が大きく混乱していることにあらためて気付きました。



天王原屋敷付近(推定)
天王原屋敷付近(推定)
( 2008/10/30 撮影 )
訪城アルバム
天王原橋 ⇒ 画像クリックで拡大します
多胡下城(金沢城)の遠景 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 天王原橋
 これといって他に撮影するものも無さそうでしたので、近くの上信越自動車道に架かる陸橋のプレートを撮影しておきました(苦笑)
凸2 多胡下城(金沢城)の遠景
 西南西約1kmの地点に所在している多胡下城。上信越自動車道の建設により南北に分断された感のある鏑川南岸の城跡の遠景には陸橋上からの撮影が有効なようです。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)

■郷土誌・歴史関係
「中世吉井の城館跡」(1991/吉井町教委)

■その他
群馬県文化財情報システム(※現在は「マッピングぐんま」の文化財情報)

・2010/12/27 HPアップ
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