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群馬県吉井町の城館索引へ戻る  高の砦 高の砦高の砦
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/10/28のブログ 河内の砦 多胡砦 多胡下城(金沢城)
所在地
 群馬県多野郡吉井町高字北原104ほか
歴史、人物、伝承

鎌倉街道を扼する砦
 信州街道(鎌倉街道、現在の国道254号線)を眼下に見下ろし、さらに鏑川方面にも監視の目が行き届くという立地条件を備えています。砦跡としての伝承と部分的な遺構が残存していますが、この砦に関する文献史料は確認されていないことから、その歴史的な経緯についてはほぼ不明に近いものがあります。
 「中世吉井の城館跡」にも記されているように、同じ台地の南南東約1kmの地点に所在している神保植松城との関わりも十分に想定されるものと思われます。
 なお、山崎一氏は寄稿した「吉井町誌」の中において、「多胡の砦と呼応して東側を流れる大沢川河口を防御する堡塁(ほるい)であろう」と推定しています。

確認可能な遺構
 伝・狼煙台、土塁(北辺の一部のみ)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年10月28日 13時05分から13時50分
訪城の記録 記念撮影

( 2008/02/27 記述 )
 比高差20mの断崖
 河内城と比べると、東側を北流する大沢川の川原に自然公園が設置されているためより段丘自体の比高差が際立つ印象があります。目指べき遺構は段丘上の土塁跡なのですが、民家の宅地と隣接しているらしく保存状態に些かの懸念も...
 まず取敢えずは狼煙台と推定されている稲荷神社跡を目指して人工的な造成跡を確認。次に雑木林の茂みを抜けて東方へと移動。すると吉井町の関係資料に記載されている通り、2棟の古い納家(家畜舎かも)の北側には予想を遥かに超えて良好な状態である土塁の一部が現存しておりました。このような市街地内の崖線で、これほどの土塁遺構と対面できるとは思いもよらず、あらためて代々の所有者の方々に心より御礼を申し上げます。
 さてその崖線と平行に配置された状況からは、比高差20m以上の急崖に加えて、さらに北側の守りを固めていたものと推定されます。 ただし台地続きの部分に関してはなだらかな斜面が続いているだけなので、かつての地形の面影が全く存在していないこともあって防御するには不向きな地形という印象が残ります。


「」 ⇒ 画像クリックで拡大します
高の砦全景
( 2008/10/28 撮影 )
訪城アルバム
高の砦の俯瞰図風のスケッチ(かなりデファルメ)
高の砦 伝・狼煙台 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 懲りない俯瞰図
 形の崩れたできそこないのクッキーのようにも見えますが、管理人としては俯瞰図のつもりで、何と30分以上を費やして作成したものであります(苦笑)
 宅地、畑、雑木林などがあるために、実際に地形として明確に見分けがつくのは土塁の部分だけなのであります。スキャナー導入以前の始めの頃の悪戯ですので、かなり酷いものであります(^^ゞ
凸2 伝・狼煙台
 かつては稲荷神社が所在していた狼煙台といわれている高さ1mから2mほどの人工地形ですが草木が旺盛に茂り地表部分の観察は困難でした。
 一辺が20m前後の規模があることから、寧ろ郭跡とでも呼んだ方が相応しい印象がありました。

高の砦 北辺の土塁(西側から撮影) ⇒ 画像クリックで拡大します
高の砦 北辺の土塁(北東方向から撮影) ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 北辺の土塁
 西側の雑木林の方から撮影したものですが、手前の部分はちょっとした藪になっているために、この土塁の存在自体についてはやや分かりにくい状況となっています。
 なお、この土塁は昭和20年頃には「凸2」の稲荷神社跡付近から東側の崖線まで続いていたと伝わっているようです。(「中世吉井の城館跡」より)
凸4 北辺の土塁
 北東側から撮影したもので延長約25m、高さは最大で3mを測ることができます。
 宅地の北側に所在していることから、季節風の時期には風除けの効果も期待されるものと思われます。そうした事情等もあったことから、このように存続できたのでありましょうか。

高の砦 北辺の土塁(南東方向から撮影)「」 ⇒ 画像クリックで拡大します
高の砦 砦跡との関連が不明な人工的な地表の段差 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸5 北辺の土塁
 南西方向から撮影したもので、この土塁と台地の崖線までは数m幅の平坦地(画像の土塁の右手)が所在しています。
 敢えて崖線方向に寄せずにこの位置に築いた理由は明確には分かりかねますが、仮に崖線上には尺木塀を設置し土塁と共に二重の防御線を確保していたと想定すれば説明がつくようにも思われます。
凸6 段差の目立つ畑
 2mから2.5mとい大きな段差が目立つ地形ではありますが、砦跡(郭跡)に関係するものかどうかについては判断がつきかねます。
 狼煙台(稲荷神社跡)と土塁遺構の間に位置しています。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1979/新人物往来社)

■郷土史、歴史
「吉井町誌」(1969/吉井町)
「中世吉井の城館跡」(1991/吉井町教委)・
「吉井町の文化財ガイドブック」(2006/吉井町郷土資料館)
「角川日本地名大辞典 群馬県」(1988/角川書店)
「群馬県多野郡誌(1927刊行の復刻本)」(1994/春秋社)・
「多野藤岡地方誌」(1976/多野藤岡地方誌編集委員会)

■史料
なし

■その他
群馬県文化財情報システムWEB版(「マッピングぐんま」以前の2代前のもの)

・2009/02/27 HPアップ
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