群馬県内の市町村別城館跡の目次へ
トップ頁へ戻る 群馬県内の市町村別城館跡の目次へ 画像掲示板へ 「ほっつきブログ」へリンク 頁の最後へ移動
 素人の趣味のため思い込みと間違いについては平にご容赦を。 お気づきの点などございましたらご教示いただければ幸いです。 
群馬県藤岡市の城館索引へ戻る  下大塚館北西角 下大塚館 下大塚館の南西部
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/10/20のブログ 動堂城 原屋敷 篠塚城
所在地
 群馬県藤岡市下大塚中組49
歴史、人物、伝承

歴史的背景不詳
 「美土里村郷土史」によれば、その昔上・中・下の大塚3村は大前村と称されたとされるが、下大塚の地名は文和2年(1353)3月19日の足利尊氏寄進状に高山庄に属するものとして記載されていることから南北朝期初期には既に分村改名されていたことが窺える。
 同館跡は動堂城の南東約500m、原屋敷からは南約300mの距離に所在する平地の城館跡で現在は地元旧家の宅地となっている。然し「藤岡市史資料編」において城館跡として掲載されているのみであり、他の資料には掲載されている例を見ない。また同書においても、具体的な背景・経緯などは全く記されていないためその詳細については不詳。
 大塚地区は全体として高山氏一族小林氏の支配におかれていたとされることから、同氏に関連する城館址のひとつと見ることが可能かもしれないが無論憶測の域を出るものではない。また仮に単郭であった場合には、現存する遺構そのものについては洪水除けを兼ねた近世の名主階層の屋敷に付随するものという可能性についても考慮すべきなのかも知れない。

確認可能な遺構
 堀跡、土塁
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年10月20日
訪城の記録 記念撮影

( 2008/11/09 )
 気力が湧く遺構
 地形的に「中城」を思わせるような内郭北側の印象。しかし案に相違して内郭に相当するとされる旧家宅地西辺中心として、視界を遮るものもないままに幅約6m、長さ約70mの見事な堀跡が現存しておりました。加えて北辺の西端部(北西角)には高さ2m、長さ5mほどの土塁も現存。さらに西側の堀跡は90度折れて南辺へも15mほど続いておりました。
 屋敷林の樹木等がくまなく伐採されていることから、公道上より遺構全体を拝見できるというのも実に有難いことなのでありました。この日の締めくくりとして、ことによると外郭を形成していたのではないかと想定される東西の用水路付近および内郭東側の堀跡道をくまなくテクテクと歩いてしげしげと観察。
 本日ここまでの歩行距離は、累計にして凡そ6kmほど。たかが6kmとはいえども、退院後の一日当たりの歩行距離としては紛れもなく最長不倒距離かとも。諸々の不安材料も多く果たして何処まで歩くことが可能なのか不明ではありましたが、今後の見通しとして何はともあれ平地に限定するならばどうにか歩くことができるという事実に安堵したのでありました。

「下大塚館」 ⇒ 画像クリックで拡大します
下大塚館北西の堀跡と土塁跡
( 2008/10/20 撮影 )
訪城アルバム
「下大塚館」 ⇒ 画像クリックで拡大します
「下大塚館」 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 西側堀跡
 北側方向から撮影させていただいたもので、屋敷林が概ね伐採されていることから、このように視界を遮るものもなく遺構の全容を拝見することができました。
 なお明確な形で土塁遺構が残存しているのは、おおむね北西の角部分に限定され、また北側に所在する集会所建設時に北辺の堀跡の大半が消滅した模様です。
凸2 西側堀跡
 左の画像の堀跡を南側から撮影したもので、現状の堀幅は最大でも上面約7m弱ほどの広さ。然し左側の凡そ2間幅の道路が拡張される以前には、さらに大規模なものであったものと考えられます。
 何れにしてもこうした遺構と対面できると心身ともに元気になるのであります。

「下大塚館」 ⇒ 画像クリックで拡大します
「下大塚館」 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 南西の角
 館跡の南西部から撮影させていただいたもの。平地の城館であることから、本来は空堀ではなく水利の支配も兼ねて水堀であったものと考えられます。
 南北約70m、東西約60m(南辺)から70m(北辺)という規模は、200mほど北側の「原屋敷」とほぼ同規模ですが、その関連性等についても不明です。
 ⇒南側の堀跡にて動物タンパクを摂取中のネコさん
凸4 東側部分
 東側の堀跡の名残りと思われる幅1間に満たない細道で、「藤岡市史資料編」の縄張図では正面の草木の繁っている個所について北東鬼門の隅欠きであることを想定しています。
 単郭か二重方形館かは不明ですが、とりあえず西側東側の用水路も参考までに撮影をいたしました。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
なし

■郷土史・歴史関係
「藤岡市史 資料編」(1993/藤岡市)
「藤岡市史 通史編−原始・古代・中世」(2000/藤岡市)
「群馬県多野郡誌(1927刊行の復刻本)」(1994/春秋社)
「角川地名大辞典10群馬県」(1988/角川書店)

■史料
「上野名跡誌」(嘉永6年/富田永世)1976関東資料研究会による復刻本

・2008/11/09 HPアップ
トップ頁へ 群馬県内の市町村別城館跡の目次へ この頁の最上段へ移動