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2008/10/20のブログ 凸中城 | |
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群馬県藤岡市篠塚字原294ほか |
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土塁、郭、切岸? |
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なし |
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2008年10月20日 |
( 2008/10/20 撮影 ) |
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凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) 「藤岡市史 資料編」(1993/藤岡市)
「藤岡市史 通史編−原始・古代・中世」(2000/藤岡市) 「藤岡市の歴史年表」(1996/藤岡市) 「藤岡地方の中世史料」(1988/藤岡市) 「角川日本地名大辞典 10群馬県」(1988/角川書店) 「群馬県多野郡誌(1927刊行の復刻本)」(1994/春秋社) ⇒美土里村の人物誌の項において「多野人物誌」から引用し、「篠塚伊賀守 諱を重廣と称し、上野国緑野郡篠塚村の住人にして、新田左中辨義貞の四天王の一人である。姓は平氏其の先秩父族畠山庄司重忠六世の孫にして代々新田氏属し、数度の軍功あり、ついに新田十六騎の一に入り、尚進んで四天王の一人となる。元弘三年鎌倉攻に従い、尚其の後諸所に転戦し偉功ありしという。前期の地に伊賀神社あり、古社にして...境内に伊賀守の力石と称する巨石あり(略)」と記され、また邑楽郡篠塚よりも緑野郡篠塚(当地)の方が篠塚伊賀守に関わる遺構として有力であるとの巷説を紹介しています。 ■史料 ■「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会) ⇒「上毛古城記」によれば、「篠塚城 篠塚伊賀守重廣」とのみ記されています。 ■「上野名跡誌」(嘉永6年/富田永世)1976関東資料研究会による復刻本 ■「上野資料集成」(1917/煥釆堂本店) ⇒ 上野志、上州古城塁記、 ⇒所収の「上毛国風土記」の篠塚村の項に、「新田四天王の一人篠塚伊賀守旧跡なり...」との記述が見えます。 ・2008/11/03 HPアップ
・2008/11/04 記述追加訂正 |