凸字原屋敷の謂れ 地元では発掘調査の遥か以前より「原屋敷」の通称名で呼ばれ、昭和前半期までは土塁の存在が確認されていたが、その後の耕地化・宅地化などの土地利用の変化に伴い、その所在地については曖昧な存在となっていた。 下記の発掘調査報告書等によれば、中世の板碑・古銭などの遺物が出土し、中世の館に伴う幅4〜5mの薬研状を呈する堀跡とそれに関する柱穴等も確認され一辺が約60mの規模の館跡であることが確認されたとのことである。
( 2008/11/08 ) 凸 地下の遺構は盛り上がりを欠く 上信越道の南側約100mの地点に所在し、発掘調査により約60m四方の規模を有する中世の屋敷跡であることが推定されています。しかし本動堂屋敷前遺跡と同じくテクテクと歩くような堀跡道もなく、農道には未だ夏草が残り足元が見えず、また宅地開発等による造成工事などで大幅な地形の改変も行われている模様が見て取れました。このため敢えて現地に赴き地形の確認をするような状況でもないと判断し、やや逆光気味の雑草の蔓延った草原の遠景を撮影後に速やかに撤収開始。以上 〆て僅か5分間の滞在となりました。 なお、余談ながらG県警のパトカーが上信越道の高架下に隠れるようにして側道を通行する車両の一時停止違反を手ぐすね引いて監視しておりました。また折から小学生の下校時間帯とも重複。かかるところに一脚付一眼デジカメを抱えてキョロキョロあたりを見回しながら移動する、やや大柄な60歳前後の男性1名(⇒管理人)は幸いにして挙動不審者とは判断されなかった模様であります。尤も松葉杖を突きながら歩いていたのこともあり、多少は目こぼししてくれた可能性もあるよう二も思われました(汗)
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