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群馬県藤岡市の城館索引へ戻る  下栗須堀之内 北側からの遠景 下栗須堀之内 下栗須堀之内の土塁状地形 しかし画像が小さいので竹藪にしかみえない
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/10/20のブログ 小林館 下戸塚城 森東城
所在地
 群馬県藤岡市下栗須字堀之内978−3ほか
歴史、人物、伝承

年代、時代背景不詳の中世城館
 遺跡としての正式名称は「神流川地区2号城館址遺跡」であり、情報源はあくまでも「群馬県文化財情報システム」に基づくものである。ただし土塁遺構そのものについては、考古学的な学術調査は実施されておらず、このためその年代や背景などを含めて不詳の模様である。
 なお城館としての推定範囲については、地形図及び現地の状況と乏しい経験等に基づき「曲折した道幅の狭い道路に囲まれた東西約150m、南北約180mほどの不整形地」と管理人が一方的に想定したものであることから、当然ながらこの点に関する客観性および学術性は一切皆無である。

確認可能な遺構
 土塁状地形および推定堀跡の道路
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年10月20日 午前9時40分から10時40分
訪城の記録 記念撮影

( 2008/11/01 )
 神流川地区2号城館址遺跡
 情報源はあくまでも「群馬県文化財情報システム」のみであり、 これが3か月ぶりとなる入院生活3週間におよぶ右膝手術後の復活後第一弾の訪城先とは我ながら地味すぎると呆れるような始末であります。それでも「同システム備考欄」には「土塁一部消失」との有難い記載もありました。これを逆に考えると、ことによればその一部は現在でも存在しているという解釈も成り立つはずなのであります。
 一方城館名はあくまでも仮称であり、上記システム上の正式名称では「神流川地区2号城館址遺跡」とのことであります。然しこれでは余りに無味乾燥のようでもあるため、勝手に管理人が所在地の「大字+小字」をそのまま城館名としたものなのであります。従ってこの無責任な名称をネットで検索しても、今のところヒットする可能性は当ページを除いて皆無なのであります。
 さて自宅から凡そ2時間半を費やして訪れた場所は、利根川支流の河川改修された中川左岸に所在する住宅地。「堀之内」との地名が残されているとはいえども、大がかりな河川改修が施工されていることもあり、さほどの期待感もないままに速やかに推定地へと到達いたしました。
 新興住宅地に接した一部旧集落の名残も感じさせる屋敷林のある風景が眼前に展開。推定範囲は東西約150m、南北約180mほどの不整形地とさしたる根拠もないままに想定。この場合の定石は、先ず推定堀跡と目される道路に沿ってぐるっと一回りテクテクと歩くことに尽きるのであります。
 しかし予想に反していくらもあるかないうちに、旧家の間に所在する竹林の中に連続した人為的な盛土の形跡を視認いたしました。 高さ1.5mから2mほどの盛土が合計3か所ほど点在しています。こうした地形について、一般には「土塁」(古記録等では「土居」とも)と呼ぶのが一般的なのでありましょう。無論その立地条件から洪水除けの堤防の可能性、年代観、全体の縄張など不明な要素が多いことは否定できません。しかし、一応「土塁」であることには相違なく、その後は当初の予定通り時計回りに周囲の道路を一周して推定地のほぼ中心部に相当する位置に所在している事実を確認したのでありました。

「下栗須堀之内」 ⇒ 画像クリックで拡大します
中心部付近の土塁状地形
( 2008/10/20 撮影 )
訪城アルバム
「下栗須堀之内」の土塁状地形の一つ ⇒ 画像クリックで拡大します
「下栗須堀之内」の民家の盛り土 ⇒ 画像クリックで東側からの拡大画像へリンクします
凸1 土塁状地形
 もっとも西側に所在するもので、高さは最大で約2m、延長約8mほどの断片となっています。
 またこのほかにも少なくとも2か所の土塁が、この画像の左側に所在しており、それぞれ高さ約1.5mで延長はおよそ5mと3mとなっていました。これらの土塁状地形がが所謂二重土塁を形成していたのかについてはその余りにも断片化された現状から判然としません。
凸2 民家の盛り土
 画像右側の盛り土は左の画像の南側に位置する民家の宅地辺縁部のもので左側の画像のものは南北方向に伸びているのに対してこちらは東西方向に伸びています。大きさは高さ約1.5m、延長約10mの規模を有しています。
 無論東側を流れる中川の洪水対策の一環とも捉えられますが、付近の民家ではこれ程までに高い盛り土は殆ど見ることができず困惑は深まる一方となりました。

「下栗須堀之内」北側からの遠景 ⇒ 画像クリックで拡大します
「下栗須堀之内」の北側用水路(希望的推定によれば堀跡) ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 北側からの遠景
 全体の道路形状を考慮すると、「下栗須堀之内」の中心部付近と推定されます。現在もこの屋敷林を中心として数軒の旧家の方がお住まいの様子でありました。
 なお同地内には「遺構」とは直接の関わりが不明な高さ2.5mを有する人工地形も所在。小さな石祠が祀られていることから恐らくは稲荷塚または浅間塚のようなものでしょうか。
凸4 北側の用水路
 希望的観測としてはあくまでも堀跡の名残りと捉えたいところであります。しかし直ぐ東側を流れる中川の河川改修工事に関連して一定の改修を受けているようにも考えられます。
 従ってどちらかといえば推定地南東部のこのような道路形状の方がより堀跡に相応しそうに思えるのであります。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

「藤岡市史 資料編」(1993/藤岡市)
「藤岡市史 通史編−原始・古代・中世」(2000/藤岡市)
「角川日本地名大辞典 10群馬県」(1988/角川書店)
■群馬県文化財情報システム(文化財データベース)


・2008/11/01 HPアップ
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