群馬県内の城館跡目次
トップ頁へ戻る 群馬県内の城館跡目次へ 「ほっつきブログ」へリンク 頁の最後へ移動
 素人の趣味のため思い込みと間違いについてはご容赦を。 お気づきの点などございましたらご教示いただければ幸いです。
群馬県の城館索引へ戻る 小沢城 小沢城のロゴ 小沢城
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  名胡桃城 明徳寺城 小川城
所在地
 群馬県沼田市町田町
歴史、人物、伝承

沼田氏初期の本拠地のひとつか
◎城館名について
 「笛吹城」−−「上州古城塁記」(倉内城の項に記されている)
 「沼田館」−−現地史跡解説板および「梅花無盡藏」(万里集九/著)
 「沼田城」−−現地史跡解説板
 「小沢城」−−「日本城郭大系」「日本城郭全集」「角川大地名辞典」「群馬の古城」            「群馬県の中世城館跡」など
 なお「小沢城」は当時から使用されていたという名称ではなさそうで、恐らくは南東部を流れている小沢川などの地名に因むものなのであろう。

◎沼田氏の本拠変遷
 荘田城 同市内の井土上町にあり、ここが沼田氏初期の本拠地とされている。
 小沢城 
 現地解説板によると、応永12年(1405)沼田景朝の代に荘田城より移ったとしており、以後永正16年(1519)まで4代114年の間その居城としていたという。
 その一方で、「上州古城塁記」によれば、戸上(現戸神、戸神山の南麓)に住していた沼田惟泰の子孫である正泰が館を町田に建て、笛吹城と号して鎌倉の将軍家に仕えたとも記している。
 さらに、「日本城郭大系」では、応永年間(1394−1428)に沼田景継により築城されたとされている。
 いずれにしてもその後は、幕岩城倉内城(古沼田城)と沼田氏の本拠地は変遷を繰り返したようだが、幕岩城への転居以降における小沢城の実態は不明の模様であるらしい。

◎沼田氏の出自、内訌と滅亡
 沼田氏の出自には平姓三浦氏、中原姓大友氏なと諸説があるというが、その何れとも決しがたいようだ。(「全国国衆ガイド」より)
 永禄年間の初め頃(永禄2年(1559)か)、沼田城主である沼田万鬼斎顕泰(ぬまた/ばんきさいあきやす)には3人の男子があった。しかしその嫡子とは意見が合わずに廃嫡とし、家督を次子憲泰に譲り末子である平八郎景義とともに川場の別業へ隠居した。しかし、憲泰は廃嫡された兄と結び重臣である小川加葉斎を謀殺した。このため沼田一族とその家臣は二派に分かれて争うこととなった。この争いには、縁戚である厩橋長野氏なども関わったが、最終的には万鬼斎は越後に逃れ、憲泰は切腹し沼田氏は滅亡したともいう。
 以上を記している「加沢記」においては、これを永禄12年(1569)の出来事であるとしている。しかし久保田順一氏、黒田基樹氏などが指摘をされているように、これは越後上杉氏による本格的な越山前の永禄年間の初めの出来事であり、その背景には後北条氏の上州侵攻にともなう沼田一族の内訌とする説が有力であるように思われる。(「戦国史上州の150年戦争」「上州武士団の中世史」「戦国大名と外様国衆」(北条氏の上野進出と沼田氏)より)。
 なお、天正9年3月には女渕城主として後北条氏に従い命脈を保っていた沼田景義は真田氏の意向を受けた沼田氏一族の金子氏により謀殺され、ここに沼田領主としての系譜は途絶えることとなった模様である。

確認可能な遺構
 土塁、堀跡、虎口ほか 東西南北200mに満たない崖端城である 標柱、解説板あり
文化財指定
 1995年3月22日 沼田市史跡指定
訪城年月日
 2014年5月5日 13時00分から13時30分
訪城の記録 記念撮影

 小雨模様の城廻り
 城跡は、薄根中学校の東側に隣接し、概ね天台宗法城院の墓地を含む境内地がその城域の範囲となっておりました。この日は早朝からのミニオフで、月夜野の宮野城方面から南東へ移動しつつ、足早に薄倉城、諏訪ノ木城、箱崎城、小川城、明徳寺城と見てまわった最後の目的地となりました。早朝にやや大きな地震が発生したものの、午前中は先ず先ずの天候でしたが、午後からは次第に雲行きが怪しくなり始め、この小沢城では小雨模様の天候となりました。このため、残存している土塁上を歩いたことを別にしますと、余りゆっくりとは見学できていなかったように記憶しております。
 外郭部の土塁と空堀は、概ね北と西側に残存しておりましたが、法城院が所在している内郭の堀跡は、埋め立てなどにより大分以前に消失したのかも知れません。
 以上のように掲載する画像を吟味しつつ、当時の事を思い起こしておりますが、4年半ほど以前に訪れた城跡でもあることから、かなり記憶は薄らいでおります (^^ゞ 来年には沼田市の周辺部に出向く予定もありますので、いずれ再訪してみようと考えております。 
( 2018/12/14 )記述
小沢城の北辺土塁
小沢城の北辺土塁 −画像A−
( 2014年5月5日 撮影 )
凸北辺部の土塁を郭内側から撮影したもので、画像の左側には櫓台とも思しき規模の大きな土塁が健在でした。

小沢城
小沢城の解説板 −画像B−
( 2014年5月5日 撮影 )
凸沼田一族はこの解説にも記されているように、その本拠地を荘田城⇒小沢城⇒幕岩城⇒倉内城(沼田城)という順序で移転したらしいのですが、その出自を含めてより正確で詳細な経緯については不明な部分もあるように思われます。

沼田大明神の解説
沼田大明神の解説 −画像C−
( 2014年5月5日 撮影 )
凸沼田顕泰(万鬼斎)の子であり、後北条氏に従い女渕城主であった沼田平八郎景義が、天正9年(1581)3月に沼田氏の故地である沼田城の回復を企図したが、一族で重臣の金子氏により謀殺されたとされております。

国土地理院航空写真より編集加工
小沢城 国土地理院航空写真より編集加工 −画像D−
( 2018年12月13日 編集加工 )
凸現存している外郭部の構えのほかに内郭の堀跡と思われる形跡も記録されており、共に横矢のかかる構造であったこと明示されております。
 なお、この画像の方位は真上では無く、概ね13時30分の方角となります。また、「日本城郭大系」「群馬県の中世城館跡」に掲載されている略測図によりますと、当城の南東部を流れている川の名称が「四釜川」として記されていますが、正しくはその支流である「小沢川」であるものと考えられます。

訪城アルバム
小沢城の標柱と解説
凸1 小沢城の史跡標柱と解説
 この日はミニオフということもあったためなのでしょうか、城跡の解説板等の設置割合は何と5割を超えておりました。

沼田大明神
凸2 沼田大明神
 金子氏などにより謀殺されたともいわれている沼田景義を祀っている沼田大明神が、城跡の外郭北東部に所在しておりました。
 この折は小雨がバラつき始めていたこともあり、失礼ながら同社・同寺の参詣を含めて省略をしておりますので、再訪時には必ずや時間をかけて念入りに見学して参りたいと考えております。

沼田氏の墓石
凸3 沼田氏の墓石か
 おそらく基壇の一部と笠の部分は近世当時のもののようですが、近年に改修された石材もあるように思われました。

西側の土塁
凸4 西側の土塁
 画像左側が郭内で、左端が堀跡となります。

南西部の土塁
凸5 南東部の土塁
 外郭部の南西部角付近の土塁の様子です。

西側の堀跡
凸6 西側の堀跡
 当時の小沢川の水位にもよりますが、谷底との標高差を考えますと、おそらくはその当時も空堀であったように思われます。

木蓮
凸7 木蓮
 季節がら法城院の境内では、この木蓮(モクレン)のほかに山躑躅(ヤマツツジ)の一種が満開であったことが強く記憶に残ってしまい、その反面肝心の城跡の印象が希薄となっていたようです(^^ゞ
交通案内


大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「日本城郭全集第3巻」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)
「日本城郭体系第4巻」(1980/新人物往来社)
「群馬県の中世城館跡」(1988/群馬県教育委員会)
「群馬の古城 全3巻」(山崎 一 著/2003/あかぎ出版) ⇒ 所在地住所表記にやや誤りがあり情報もやや古くなっている。

歴史・郷土史関係
「戦国軍記事典 群雄割拠編」(1997/和泉書院)
「戦国人名辞典」(2006/吉川弘文館)
「戦国武将合戦事典」(2005/吉川弘文館)
「日本史広辞典」(1997/山川出版社)
「戦国大名家辞典」(2013/東京堂出版)
「全国国衆ガイド」(2015/星海社)
「角川日本地名大辞典」(1988/角川書店)
「図説群馬の歴史」(1989/河出書房新社)
「史料で読み解く群馬の歴史」(2007/山川出版社)
「群馬県の歴史散歩」(2005/山川出版社)
「群馬県の歴史」(1997/山川出版社)
「戦国史 上州の150年戦争」(2012/上毛新聞社)
「上野の戦国地侍」(2013/みやま文庫)
「上野武士団の中世史」(1996/みやま文庫)
「関東戦国史と御館の乱」(2011/洋泉社)
「戦国大名」(2014/平凡社)
「戦国関東の覇権戦争」(2011/洋泉社)
「戦国北条氏と合戦」(2018/戎光祥出版)
「上杉憲政」(2016/戎光祥出版)
「増補改訂戦国大名と外様国衆」(2015/戎光祥出版)
「両毛と上州諸街道」(2002/吉川弘文館)
「真田街道を歩く 改訂版」(2015/上毛新聞社)
「戦国期上杉・武田氏の上野支配」(2010/岩田書院)

史料、地誌、軍記物
「日本城郭史料集」(1968/大類 伸 編集)
 ⇒諸国廃城考、諸国城主記、主図合結記を所収本
「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 ※高崎城大意、上州古城塁記、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収
 「上毛古城塁址一覧」(山崎一氏/編纂)
「上野国志」(毛呂権蔵著/毛呂権蔵著/1974影印本)
「上野志」(上野志料集成1/1917歓呼堂本店※旧世良田小学校蔵書第63号)

その他
「マッピングぐんま」(群馬県遺跡データベース) ⇒ 所在地の確認に役立つ。
「国土地理院航空写真」 ⇒ 戦後間もない時期に撮影されたもののなかには、こちらの小沢城のようにその当時の地形を把握できるので役立つ場合もある。
「加沢記」(国立国会図書館デジタルコレクションより ※ダウンロード可能)


更新記録
・2018年12月14日 HPアップ
トップ頁へ 群馬県内の城館跡目次へ この頁の最上段へ移動