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凸名胡桃城 凸明徳寺城 凸小川城 |
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群馬県沼田市町田町 |
( 2014年5月5日 撮影 ) 凸北辺部の土塁を郭内側から撮影したもので、画像の左側には櫓台とも思しき規模の大きな土塁が健在でした。
( 2014年5月5日 撮影 ) 凸沼田一族はこの解説にも記されているように、その本拠地を荘田城⇒小沢城⇒幕岩城⇒倉内城(沼田城)という順序で移転したらしいのですが、その出自を含めてより正確で詳細な経緯については不明な部分もあるように思われます。
( 2014年5月5日 撮影 ) 凸沼田顕泰(万鬼斎)の子であり、後北条氏に従い女渕城主であった沼田平八郎景義が、天正9年(1581)3月に沼田氏の故地である沼田城の回復を企図したが、一族で重臣の金子氏により謀殺されたとされております。
( 2018年12月13日 編集加工 ) 凸現存している外郭部の構えのほかに内郭の堀跡と思われる形跡も記録されており、共に横矢のかかる構造であったこと明示されております。
なお、この画像の方位は真上では無く、概ね13時30分の方角となります。また、「日本城郭大系」「群馬県の中世城館跡」に掲載されている略測図によりますと、当城の南東部を流れている川の名称が「四釜川」として記されていますが、正しくはその支流である「小沢川」であるものと考えられます。 |
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凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係 ■歴史・郷土史関係 ・2018年12月14日 HPアップ
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