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2018年4月5日のブログ 凸棚下の砦 凸猫の寄居 凸長井坂城 |
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群馬県渋川市赤城町宮田中島282ほか(※「マッピングぐんま」の情報による) |
( 2018年4月5日 撮影 ) 凸仮に「宮田の寄居比定地A」としてみましたが、概ね「マッピングぐんま」と「群馬県の中世城館跡」(山崎一氏による所在地)が当該地であると指摘している付近の様子です。
ただしより詳細に見てみますと、「マッピングぐんま」で示されている地点は画像右側の地元農家の宅地部分付近ですが、他方「群馬県の中世城館跡」が指摘していると思われる個所は、その南東隣の耕作地付近の奥の方(画像中央部やや上、この画像Aでは現在野菜の作付が行われている辺りの奥あたり)であるものと考えられます。 なお遠景は榛名山の山並みです。 ( 2018年4月5日 撮影 ) 凸一方で、「赤城村誌」が示している個所は、掲載されている写真の様子(背後の榛名山と形状と、小屋の写っている角度、周辺の木々の位置などから推定)から考えますと、恐らくは画像中央に見える小屋背後の耕作地付近を示しているように思われます。
なお、当該画像の左側にも地元旧家が所在し、かつ屋敷北側にはこのようにな土塁状の地形をみることができますが、「マッピングぐんま」「群馬県の中世城館跡」「赤城村誌」のいずれもこの点についてはふれられてはいません。近世以降の季節風除けなどを目的とした屋敷囲いの土塁であるのか、当該地の寄居に深く関連したものであるのかについては不明です。 ( 2018年5月10日 編集加工 ) 凸当時の在日米軍が撮影した国土地理院が管轄している航空写真画像を基に編集加工してみました。なお、この画像で仮に「A」と記したのものについては、「群馬県の中世城館跡」に収録されている山崎一氏によるものと考えられる「城館略測図465 宮田の寄居」から、道路や水路の位置、耕作地の形状などから当サイト管理人が勝手に推定した比定地?に過ぎませんので学術的な見解によるものではありません。 (^^ゞ
また、一方「Bについては「赤城村誌」に掲載されている写真画像から推定した当該位置ですが、「マッピングぐんま」に掲載されている個所は「A」地点から見て北西方向に隣接している宅地部分を示しているように読み取れます。なお、この周囲の利根川沿いの当該航空写真については北が真上ではありません。撮影角度のズレは概ね20度から45度の幅で、その撮影地点により微妙な差異があるようです。 |
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凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係 ■歴史・郷土史関係 ・2018年5月11日 HP暫定アップ
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