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2018年4月5日のブログ 凸長井坂城 阿阻城 |
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群馬県渋川市赤城町長井小川田鈩戸 |
( 2018年4月5日 撮影、以下同じ ) 凸いきなりその姿を現す堀跡です。いちおう山城の部類に入ることから堀切といってもよいのですが、対岸には馬出があり、その向こうに主郭部が続くという変わった形ではあります。単純に直線的な堀切ではなく尾根筋を斜め方向に掘削して、しかも半円形の馬出の存在により結果的には弧を描いた形となっています。
( 同前 ) 凸近年の林道建設などにより一部遺構が失われてしまい、その現状からは余り工夫が感じられない東の郭ではあるのですが、主郭部にほど近い西端部になると俄かに城跡らしい普請がそこかしこに現れてきます。前項の画像Aでも堀切られた平面形状が弧を描いていますが、この西端部の北側でも東郭の一部がそのまま西側方向に細く伸びて恰も土塁状の地形を呈しています。砦跡の尾根筋は東西方向に伸びていますが、その南北には深い鈩沢やケヌキ沢の谷が所在しているため、南北方向からのアプローチはほぼ困難ではないかと考えられます。この土塁状地形の北側下方には腰郭状の削平地があり、この堀切地形はその腰郭地形の西側でやや浅めの竪堀状地形へと続くようになっています。
( 同前 ) 凸画像右側が土塁のある馬出の切岸で、左側は東郭の切岸に相当し、堀幅も広くともに深さは4mほどですが、この規模の城館としては規模の大きな堀切地形です。
( 同前 ) 凸主郭東側の堀跡(堀切)で桝形のようにも見えますが、些か広すぎるようにも思える地形です。画像左側が馬出の切岸、画像右側が主郭切岸となり、二つの郭は奥に見える細い土橋状の地形により繋がっています。
( 2018年月日 撮影 ) 凸東側堀切(画像の奥)の前面に土塁を伴った馬出と考えられている部分です。この画像からは分かりにくいのですが、削平地としての規模は小さく仮に長柄の槍を携行しているとすると多くとも数人程度が守りに着くくらいの広さしかありません。但し、堀切の対岸に正対するとともに、主郭部虎口を主郭側土塁部と両側から囲む形であることから有効な防御効果を果たしていたであろうことが想像されます。
( 2018年月日 撮影 ) 凸「史跡」と明記されてはいますが、合併以前当時の「赤城村歴史散歩の会」により設置された標柱で、合併後現在の渋川市での史跡指定はされてはいない模様です。そうした行政上の経緯は別として、一般にはあまり知られてはいない山城跡にこうした標柱が存在していること自体がたいへん有難いものを感じます。
( 2018年月日 撮影 ) 凸主郭部の東側土塁上から馬出とこれに続く細い土橋状の地形を眺めている構図です。今回50枚ほどの撮影のなかでは管理人が最も気に入っている画像であります ^^
( 2018年月日 撮影 ) 凸西崖下を大蛇行する利根川を俯瞰した画像です。眺望は正しく絶景ですが、この地を訪れる方は一般には余り知られていないこともありそう多くは無いものと思われます。無論安全柵や転落注意などの表示もない私有林の断崖ですので、あくまでも自己責任でおいでいただくことととなります。下記画像の16とほぼ同様の位置から撮影していますが、あと50cm進みますとそのまま崖下へと転落する恐れがありました (^^ゞ
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※駐車場所はカーブした林道から西へと入る分岐した林道の路肩付近が無難かもしれません。
※厳冬期路面凍結注意 ※クマ出没注意 大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI ) |
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凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係 ■歴史・郷土史関係 ・2018年4月30日 暫定HPアップ
・2018年5月 5日 参考資料に「赤城村誌」と「戦国期城館群の景観」を追加し関連記述を訂正 |