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群馬県藤岡市の城館索引へ戻る  真下城遠望 真下城 真下城の堀切
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/03/16のブログ 尾ノ窪城 塩沢の砦 枇杷尾根城
所在地
 群馬県藤岡市譲原
歴史、人物、伝承

真下氏の居城
 承平5年(935)に平将門が築城したとの伝承があるが、これはあくまでも関東各地に伝わる将門伝説の一つであると考えられその信憑性については疑問の余地があろう。
 「鬼石町史」等によれば、築城者は児玉党の系譜をひく真下伊豆守吉行と伝わり、山内上杉氏に属していたという。しかし天文20年(1551)8月、真下吉清の代に北条氏康の上野侵攻に伴い落城したとされている。また真下城は天正年間に廃城となり、南麓の「譲原堀の内」が平時の城主の居館であるという。
 従って現存する真下城の遺構については、他の類例から山内上杉氏時代そのものであるとは想定できないものがあり、後北条氏時代、武田氏時代、武田氏滅亡後の後北条氏時代等に一定の改修を受けていた可能性を想定するべきであろう。主郭東側の郭が有するこの山城で最も特徴的な土塁・構堀の普請については、あくまでも憶測の域を出ないがその形態からは、ことによると後北条氏等の手によるものとも考えられる。

確認可能な遺構
 郭、小口、土塁、空堀、土橋、腰郭ほか多数
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年3月16日 午前11時40分から午後15時
訪城の記録 記念撮影

 多様な遺構が現存 ( 2008/12/07 記述 )
 この時分には鉄血清欠乏症(原因不明)のため心肺機能の低下に伴う息切れが著しく、かつ足周りの血流障害も併発していたようで、できる限り楽な登攀を選択する習性となっておりました。このため先ずは東側の尾根筋先端の神社まで車で登ることに決定。幸いにして神社の先の送電線の鉄塔の所まで行けたので、比高差で約50mは楽をしたことになったのでありました。
 林道終点の西側竹林方面の尾根筋が城跡のはずに相違なく。また竹林の中に刻まれたV字状の山道は明らかに人工地形の印象もあるような。さらに途中の尾根筋に刻まれた山道も何やら城館との関係を暗示する形状。一見すると枡形小口のような屈曲した地形、さらに尾根筋を南北方向に横切る堀跡のような山道、南北2段の平場から成る削平地のような地形等が出現してどんどんと貴重な時間と残り少ない体力を消費いきました。
 その判断に戸惑いつつも見通しの全く無い峠道へと到着。 この地点からさらに距離にして100mほど尾根筋を登るとようやく縄張り図に示された地形と対面。 主要な郭は主郭を中心に東西に1か所ずつ並列。東側の方形の郭は四方が空堀に囲まれた比較的珍しい構造。 加えて南側には規模の大きな2本の竪堀も。地山の地形を利用した尾根筋を横断するように南北方向に穿たれた見事な2本の堀切は正に感動的でありました。
  さてうろうろと遺構全体を巡った所で、いくつかの疑問点が発生。まず井戸跡とされる井戸郭の個所が殆ど防御のない城外ともいうべき西の外れに所在していること。然も南側の尾根筋道経由で急坂があるとはいえ、麓からは30分ほどで容易に到達できる位置にあること。また西側のより標高の高い尾根筋からの攻撃を殆ど想定していないと思われること。更に主郭とされる最も規模が大きく標高の高い郭よりも、その東側の郭の方が遥かに複雑かつ堅固な構造を備えていることなどが次々と脳裏に浮かび始めました。
 こんなことを考えているうちにあっという間に3時間以上が経過し、日没までの時刻と体力を勘案すると、この日もまた1.5ヶ所という慎ましやかな成果に落ち着いたのでありました。

「真下城」の堀切 ⇒ 画像クリックで拡大します
真下城の堀切
( 2008/03/16 撮影 )
訪城アルバム
「真下城」北側からの遠景 ⇒ 画像クリックで拡大します
「真下城」の紛らわしい地形 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 真下城遠景
 北側に所在する尾ノ窪城方面の林道途中から遠望した真下城で、おそらく画像中央やや右寄りのピーク付近が主郭部分に相当するものと思われました。
 しかし何分にも樹木が叢生しているため、地表面の形状を把握しづらい状況です。
凸2 紛らわしい地形のひとつ
 この地点まで登ってくる間にも、堀底道まがい、枡形まがい、構堀まがいなどの中世城郭めいた地形が散見されていることから、この地形もついつい主要な郭の一つと誤認したくなりそうな2段からなる人工的な印象の平場なのでありました。

「真下城」東方郭の東側構堀 ⇒ 画像クリックで拡大します
「真下城」主郭東側の構堀(堀切) ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 東郭構堀の北東角付近
 一部消失しているような個所もありますが外側に土塁を伴った厳重なもので、南側に2条の竪堀を伴うなど構造的には主郭部分よりも遥かに手が込んでいるという印象があります。構堀の深さは凡そ2mから3mほど。
凸4 東郭と主郭の間の構堀(堀切)
 縄張りとしては東郭の四方を防御する構堀ですが、主郭との間では空堀乃至は堀切としての役割も兼ね備えた堀跡です。主郭側で約6m、東郭側で約2mほどの深さを有しています。

「真下城」主郭 ⇒ 画像クリックで拡大します
「真下城」主郭南西小口? ⇒ 画像クリックで拡大します
凸5 主郭
 東西40m、南北25mほどの北側の狭い台形で、南東部分に横矢を意識した張り出し部分(折)が見られます。なお、現状の真下城は植林された杉が叢生しているため眺望は全くありません。
凸6 主郭南西部の小口か
 主郭西側の低土塁がなくなった辺りに所在することから坂小口となっているようにも思われますが、本来の小口と思われる個所は南側の中央部分に所在しかなり規模の大きな小口郭(2の郭のようにも、画像の右側)を伴っています。

「真下城」堀切 ⇒ 画像クリックで拡大します
「真下城」郭 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸7 堀切
 「凸9」と同じ主郭西側の堀切を南側から撮影したものですが、主郭側と西郭とを比較すると明らかにその高さの違いが分かるかと思います。
凸8 西側の郭
 東西方向に並ぶ3つの主要な郭の中では最も規模が小さい反面、削平工事が大変丁寧に行われているという印象があります。

「真下城」堀切 ⇒ 画像クリックで拡大します
「真下城」 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸9 堀切
 主郭と西郭の間の堀切で西側の郭上から撮影したもの。現状の深さは主郭側で約6m、手前の西郭側で約3mほどの規模があります。
凸10 堀切と土橋
 「凸11」の土橋と「凸12、14」の堀切部分を南東の方向から撮影したものです。元来の自然地形を生かした高低差の工夫を感じます。

「真下城」 ⇒ 画像クリックで拡大します
「真下城」 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸11 土橋
 主郭の西側の郭(西郭)と井戸跡手前の小郭をつなぐ土橋。土橋状遺構はこれ以外に2か所ほど所在していますが画像の上ではこの個所が最も分かりやすいのでありました。
凸12 堀切
 「凸14」の堀切を堀底部分の北側からできるだけ堀切らしく見えるように、些か角度を変えて撮影したものです。

「真下城」 ⇒ 画像クリックで拡大します
「真下城」 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸13 井戸跡
 この水の手は城外ともいうべき西側の尾根筋脇に所在し、何らかの地形改変により井戸を防御するという形跡が殆ど確認できませんでした。なお、同様の地形の井戸跡と思われるものが、もうひとつこのすぐ近くに並んでおりました。
 
凸14 堀切
 主郭西側に所在する郭の西側に所在するもので、竪堀遺構は殆ど付随しませんが、深さは手前側では4mほどですが、西側の郭側部分では10m前後という規模を有しています。
 

「真下城」 ⇒ 画像クリックで拡大します
「真下城」 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸15 主郭北東部の腰郭
 合わせて4段ほど存在する腰郭のうち、上から数えて2段目に相当する最も規模の大きなものです。
 幅約12m、奥行き約12mほどの正方形に近く、非常にきれいに削平され山城の腰郭にありがちな傾斜も殆ど見られず小屋掛けさえ可能なほどの削平地となっておりました。その分直下の腰郭までの斜面の角度が急こう配となっており、自分の意に反してずるずると滑り落ちたのであります。
 
凸16 南側からの遠望
 南麓の譲原集落側から遠望したもので、画像の向かって右側のやや平坦な山稜が真下城の中心部分に相当するものと思われます。
 なお画像左側(西側)の、より標高の高い部分には人工的な地形改変の痕跡が認められず、西側方向からの攻撃に対しては余り配慮されていないように思われてなりませんでした。
 
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1979/新人物往来社)
「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)

■郷土史・歴史関係
「多野藤岡地方誌」(1976/同編集委)
「群馬県多野郡誌(1927刊行の復刻本)」(1994/春秋社)
「図説群馬の歴史」(1989/河出書房新社)
「史料で読み解く群馬の歴史」(2007/山川出版社)
「群馬県の歴史散歩」(2005/山川出版社)
「群馬県の歴史」(1997/山川出版社)・各市町村
「鬼石町誌」(1984/鬼石町)

■史料
■「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 ⇒ 上毛古城塁址一覧を所収

■その他
「群馬県文化財情報システム」(文化財データベース)

・2008/12/09 HPアップ
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