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群馬県富岡市の城館索引へ戻る 岩染城遠景 岩染城のバナー 岩染城小口石積み
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2011/3/9のブログ 西平城 茶臼山の砦 浅香入城
所在地
 群馬県富岡市下岩染
歴史、人物、伝承

山城の特徴を有しない山城
 標高約305mを有する丘陵地帯に所在する野上城郭遺構群のひとつである。丘陵西麓からの比高差は約50m、東側の下岩染集落からは約95mほどを測り、東方約600mに所在している浅香入城と立地条件の部分では極めて酷似しているが、堀切ではなく主に空堀を多用するなどその構造は大きく異なっている。
 北および西側麓については近年の耕地整備により一部遺構の消失が認められるが、その主郭とこれを取り巻く腰郭を中心として城跡全体としては良好な状態が保たれているといえよう。
 しかし歴史ていな経緯については明確な史料を欠いていることから、16世紀戦国期の山城であると推定される以外については詳細不明で、「日本城郭全集」の記述によれば、僅かに安芸某の居城であるとの伝承が残るとされているがこの点も委細不明である。
 その地理的な条件などからは国峰城を本拠地とした戦国期小幡氏の城砦群のひとつとも想定されるが、無論それらの事柄を裏付けるような史料は確認されていない。

確認可能な遺構
 主郭、腰郭、土塁、小口、土橋、空堀、石積み、横堀?
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2011年3月9日 13時20分から14時20分頃まで
訪城の記録 記念撮影

 還暦祝い第2弾
 この直前に訪れた前の1か所だけで撤退をしてのんびりと富岡市の図書館で資料調べをとも思いましたが、目指す目的地はすぐ目の前の小丘陵で比高差は実質的には50m前後あるかどうかのように思われました。
 そのようななかを一応尾根続きであったはずの北東方向からアプローチを敢行しました。しかし丘陵地帯の北西部を中心にして大がかりな耕地整備が行われたために、残念ながら半ば稜線そのものが消失しておりました。
 それでも城域の北限と判断された畑の端の斜面へと取り付き、ひたすら城跡が存在すると推定される南西方向へ。しかし3か所の堀切(ないしは空堀)のうち、北東側のものは耕地整備により消失していました。
 残りの2か所の堀跡(空堀)部分も奇異な印象が拭えない後世の地形改変があるようにも見えなくもありません。そうしたなかで主郭小口手前の石積みは小規模ながらも城郭の面影を伝える要素となっておりました。


 結果的には当初の予定通りに2か所を巡ることとなりましたが、右足踵の骨棘の痛みは別としても左足のテーピングにはくつづれのクッション材を用いるなど、さらに工夫が必要なようです。
 2011年1月に還暦を過ぎて以来、気力体力低下は愈々隠しようもありません。1日あたりの行程としては山城は2か所以内で比高差は200m前後までというガイドラインが設置された日ともなったようです(苦笑) 事実車を止めさせていただいた額田公民館までの1kmほどの道程が実際の距離以上に長〜く感じられた一日でした。

( 2011/03/31 )記述
西平城山頂付近から遠望した岩染城 ⇒ 画像クリックで拡大します
西平城山頂付近から遠望した岩染城 −画像A−
( 2011/03/09 撮影 )


(注1) 「矢印と番号」は、およその撮影地点と方向を示しますがあくまでも大雑把なものに過ぎません。
(注2)なお、この「概念図」については「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」掲載の情報および「電子国土」の地形図等を参考に現地での印象を加味して作成しています。

岩染城概念図 ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
岩染城の遠景 ⇒ 画像クリックで拡大します
西側方向から撮影した岩染城 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 岩染城の遠景(画像1−1)
 現在は鍋を伏せたような地形となっていますが、本来は画像手前に尾根筋や斜面がのびた稜線の一部を構成する地形であったものと推定されます。
凸2 西側方向から撮影した岩染城(画像2−1)
⇒堀切ともいえなくもない城跡南端部の切り通し(峠道)地形(画像2−2)
城跡南部の横堀状地形(画像2−3)

主郭南部の土橋と空堀 ⇒ 画像クリックで拡大します
主郭小口の石積み ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 主郭南部の土橋と空堀(画像3−1)
 正面の空堀部分は丁寧に削平され画像右手の主郭を取り囲む様に広大かつ規則的な地形を形成していることから、近隣に所在している浅香入城、西平城などとは大きく異なった印象が感じられます。
凸4 主郭小口の石積み(画像4−1)
 主郭小口部分を補強し強力な横矢を意識したとも考えられる石積みとなっていました。
⇒小口の上部方向から俯瞰した石積み周辺の様子(画像4−2)
主郭小口全景(画像4−3)
 

主郭土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
主郭北部の土橋と空堀 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸5 主郭土塁(画像5−1)
 主郭に残存している土塁は、小口付近のこの南辺の僅か10m足らずの部分のみですが、本来は全周していたものと推定されます。
⇒主郭の広大な削平地画像(画像5−2)
主郭西側の腰郭(画像5−3)

凸6 主郭北部の土橋と空堀(画像6−1)
 画像3−1から続く空堀底を兼ねている腰郭地形。
腰郭(画像6−2)
腰郭西側部分(画像6−3)
腰郭東側部分(画像6−4)
2の郭北側の堀跡(画像6−5)
 
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係資料
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1979/新人物往来社)
「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)

■郷土史
「富岡市史 自然編、原始・古代中世編」(1987/富岡市)

■史料
「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 ⇒ 高崎城大意、上州古城塁記、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収
「上野資料集成」(1917/煥釆堂本店) ⇒ 上野志、上州古城塁記、上毛国風土記、伊勢崎風土記を所収

・2011/03/31 HPアップ
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