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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2011/01/05のブログ 内匠城
所在地
 群馬県富岡市南後箇字北山
歴史、人物、伝承

戦国期小幡氏の城砦か
 標高269mを有する上信越自動車道の南側丘陵地帯に所在する城郭遺構群のひとつである。丘陵北麓からの比高差は約100mほどを有するが、南麓公道からの比高差は約60m前後に過ぎない。
 文化財としては中世城郭遺構としてよりも、古代遺跡の北山茶臼山古墳としての方が有名であり、城跡全体は古墳と共に群馬県立富岡実業高校演習林(学校林)となっている。このため植樹などに伴う地形の改変が各所に散見され、城郭遺構との区別が著しく明確さを欠く状況となっていることは否めない。
 その地理的な条件などからは国峰城を本拠地とした戦国期小幡氏の城砦群のひとつとも想定されるが、それらの事柄を裏付けるような史料は確認されていない模様である。

確認可能な遺構
 郭、腰郭
文化財指定
 西郭は茶臼山古墳として富岡市の指定文化財(1971年4月10日指定)
訪城年月日
 2011年1月5日 10時20分から12時20分
訪城の記録 記念撮影

( 2011/01/09 記述)
 悩ましい腰郭状地形
 かつての山崎一氏の調査によりますと、古墳が所在する東側の稜線部に郭および腰郭群が存在していたことが判明しています。しかし既に四半世紀以前に行われた「中世城館調査報告」当時においても、遺構の残存状況は不良と明記されております。そうした中で概ね明確な城郭遺構として捉えられるものがあるとすれば、北東部稜線上に所在しているやや幅の狭い2段から3段ほどの腰郭群を挙げることができます。
 無論かつて山崎氏が指摘されているように、南東の稜線部にも腰郭状の10段ほどの幅広の腰郭状地形も現存していることが認められます。ただしこれらについては林道の築造や植樹などによる相当の地形改変の形跡も窺え最早城郭遺構との識別が難しくなっています。一方主郭とも考えられている北茶臼山古墳の南斜面付近にも複数の大規模な腰郭状地形が散見されます。こちらについても同様に植林或いはその日照条件から考慮した場合には、後世の耕作地の開墾によるものという可能性も十分に想定されるというような状況となっておりました。
 尤も物好きな当該サイトの管理人は、そうした腰郭状地形の実情を確認するために滑りやすい落ち葉の斜面などを30分ほどを要して幾度か往復しましたので、実質的な比高差に換算して軽く100m以上は上り下りをしていたことになります。そうした事情もあってか、下り道では持病ともなっている右膝関節部に明らかな痛みを発症(苦笑)
  この時点で時刻は既に12時を大きく回り、次の目的地では確実な駐車スペースがないことから、約2.5kmを徒歩で行かざるをえないという事情も重なり、この際は安全面を考慮し即帰還という選択枝も頭に浮かぶような事態に陥っておりました。


東側郭の切岸状地形 ⇒ 画像クリックで拡大します
東郭の切岸状地形
( 2011/01/05 撮影 )


(注1) 「矢印と番号」は、およその撮影地点と方向を示しますがあくまでも大雑把なものに過ぎません。
(注2)なお、この「概念図」については「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」掲載の情報および「電子国土」の地形図等を参考に現地での印象を加味して作成しています。

茶臼山の砦概念図 ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
削平されている北山茶臼山古墳(西郭、主郭とも)の上部
悩ましい腰郭状の地形 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 北山茶臼山古墳
 現地解説板などによりますと、直径約40m、高さ約5mの規模を有する4世紀末から5世紀初めに築造されたと推定される北関東屈指の古墳であるとのことです。斜面の一部には古墳表面を覆っていたとされる川原石も散見されます。茶臼山砦の主郭とも推定をされていますが、西側尾根筋方面には城郭遺構の痕跡は遺されてはいないようでした。
凸2 悩ましい腰郭状の地形
 主郭南側最上段部に所在している腰郭状地形なのですが、この付近には人手の加わった近年のものと思われるような林道の築造跡なども見受けられました。
 南側斜面を中心に所在していることから、後世の桑畑等の耕作地跡を転用したもののようにも思われました。
さらに一段下の地形

主郭東側の斜面 ⇒ 画像クリックで拡大します
東郭の北東腰郭付近
凸3 主郭東側の斜面
 東郭との比高差約10mを有する北茶臼山古墳(主郭)の東側斜面部分で、一見坂小口跡のようにも見えなくもありません。
 恐らくハイキングコースのルート整備などが施されているものと推定されることから、その詳細については分かりかねます。
凸4 東郭の北東腰郭付近
 北東部の尾根筋に築造されている下段部分の腰郭なのですが、些か笹藪の方が目立ってしまい肉眼での観察とは異なった画像となってしまいました。
 また本来は尾根続きとなっていた城跡の東側は道路建設により切り通し地形となり旧来の地形は失われています。

東郭南東部腰郭 ⇒ 画像クリックで拡大します
茶臼山の砦遠望 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸5 東郭南東部腰郭
 東郭の南東部に所在する腰郭群の最上段付近の地形で、切岸崩壊の様子などの表面観察の限りでは比較的後世の地形改変の影響が少ない個所であるようにも思われました。
凸6 茶臼山の砦遠望
 浅香入城からの帰路に南側方向から撮影した遠景です。なお主郭西側方面に堀切などの城域を示すような城郭遺構の痕跡が見当たらないことに幾分違和感も残りました。

浅香入城 ⇒ 画像クリックで拡大します
岩染城 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸7 浅香入城
 これだけ間近にくっくりと見えたので、このあとに半ば気力だけでアプローチした南南西約1.4kmに所在する浅香入城の遠景。城跡南側の谷筋が最短ルートですが、北側先端部の額部神社から尾根筋に沿って南下するルートが安全確実でした。
凸8 岩染城
 岩染川を挟み浅香入城の西側に所在する山城ですが、この日は日没までの残り時間と足回りの問題から所在地を遠望しただけにとどまりました。地形図などから見た限りでは西麓での耕地整理と思われる地形改変などが気にかかりました。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係資料
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1979/新人物往来社)

■郷土史
「富岡市史 自然編、原始・古代中世編」(1987/富岡市)

■史料
「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 ⇒ 高崎城大意、上州古城塁記、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収

・2011/01/09 HPアップ
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