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群馬県富岡市の城館索引へ戻る 藤田城遠景 藤田城のバナー 藤田城烽火台
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2011年3月30日のブログ 岩染城 浅香入城 西平城
所在地
 群馬県富岡市岩染
歴史、人物、伝承

藤田氏の伝承を持つ山城
 標高631.4mの山頂部と、東側の削平地(主郭)などから構成される小規模な山城で、藤田峠方面を監視する役割を担っていたものと推定されます。「上野志」によれば、藤田弾正が居城とし、その子孫(※藤田信吉の子孫を指すか)は加賀に居したとも記されています。しかし、藤田氏の居城とするには烽火台や物見台規模の小規模な城郭遺構であることから疑問が呈されます。
 山崎一氏が編纂した「上毛古城塁址一覧」あるいは「日本城郭全集 3」になどの資料によりますと、戦国期に武蔵西北部から西上州らかけて勢力のあった藤田氏の一連の城郭のひとつと推定されていますが、この地域に勢力のあった小幡氏との相互関係を含めてその実態については不明な部分が多いものと考えられます。
 
藤田能登守信吉(1558−1616)は武蔵天神山城主藤田氏一族の用土業国の子とされ、別名を用土新左衛門尉ともいわれ、北条氏邦の支配下では沼田城主を務めたが、天正8年に沼田城とともにそのまま甲斐武田氏に服属した。天正10年の武田氏滅亡後には、越後上杉氏に仕え後北条氏攻略に戦功をあげた。
 その後慶長5年の関ヶ原合戦では上杉家から出奔し、徳川家康に仕官し下野西方1万5千石を領するに至ったが、元和元年の大坂夏の陣での失態を理由に改易となり翌年に病没したとされている。(「戦国人名辞典」2006/吉川弘文館より引用した)

確認可能な遺構
 主郭、腰郭、堀切?
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2011年3月 9時45分から10時35分
訪城の記録 記念撮影

 展望台
 事前の情報よりも近年の林道整備などに伴いさらに地形が大きく改変されているようです。主郭(推定)付近の削平地は藤田峠東側に所在するキャンプ場の設営に伴う展望台の一つと化しており、遺構もある様な無い様な表現が難しい事態となっておりました。
 またキャンプ場にともなうハイキングルートの整備やその後の林道整備などにより、藤田峠からの尾根筋ルートも山崎一氏が踏査した頃の面影はほぼ消失しているようです。


 主郭から烽火台と推定されている標高631.4mの山頂部へといたるルートも林道の築造などによりなかば荒廃しかつては堀切跡とも思える地形も大きくその姿を変えていました。
 この後は北西方向の尾根続きに所在しているとされている二ツ山城方面へと移動開始しました。

     ( 2011/04/3 )記述
藤田峠方面より撮影した藤田城 ⇒ 画像クリックで拡大します
藤田峠方面より撮影した藤田城 −画像A−
( 2011年3月30日 撮影 )


(注1) 「矢印と番号」は、およその撮影地点と方向を示しますがあくまでも大雑把なものに過ぎません。
(注2)なお、この「概念図」については「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」掲載の情報および「電子国土」の地形図等を参考に現地での印象を加味して作成しています。

藤田城概念図 ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
東尾根 ⇒ 画像クリックで拡大
削平地 ⇒ 画像クリックで拡大
凸1 東尾根(画像1−1)
 東尾根の肩に見られる削平地で、見方によっては腰郭のようにも見えますが、明確な遺構としての確信を持てるような地形ではないようにも思われました。
凸2 削平地(画像2−1)
 キャンプ場の設営に伴うハイキングコースを兼ねた展望台として開発され、その後の林道開設などにより地形を大きく変えておりました。

山頂 ⇒ 画像クリックで拡大
北西稜線部から山頂 ⇒ 画像クリックで拡大
凸3 山頂(画像3−1)
 ネコの額ほどの削平地を形成する烽火台とも考えられている標高631.4メートルの山頂部分。北側の眺望も良好なことから、当然物見台の役割も兼ね備えていたものとも考えられます。
凸4 北西稜線部から藤田城方面(画像4−1)
 画像中央部のピークが「画像3」の山頂部で、その左側の少し低くなっている個所が主郭部と推定される削平地です。
交通案内

・県道192号線藤田峠からの比高差は約120m。
・クマ等の野生動物出没注意

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係資料
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1979/新人物往来社)※記述なし
「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)

■郷土史・歴史
「富岡市史 自然編、原始・古代中世編」(1987/富岡市)
「角川日本地名大辞典 群馬県」(1988/角川書店)

■史料
「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 ※高崎城大意、上州古城塁記、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収
「上野資料集成」(1917/煥釆堂本店)  ※上野志上州古城塁記、上毛国風土記、伊勢崎風土記を所収

・2011年4月3日 HPアップ
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