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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2007/12/24のブログ 東平井の砦 飛石の砦 常岡城
所在地
 群馬県藤岡市三ツ木明神前406、408、409
歴史、人物、伝承

在地領主三ツ木氏の築城か
 鏑川の南岸に所在する比高差15mほどの河岸段丘の先端に所在する南北150メートル、東西170メートルの規模を有する城郭で、本郭を含む複数の郭を有しています。その現状から城郭遺構として確実に把握できるのは本郭周辺の堀跡と土塁に限られる模様で、また文明年間には三ツ木信守、天正年間には春山和泉守がそれぞれ在城したと伝わるとのことですが、その事跡などの詳細については不明である模様です。
 なお、現地解説版および「藤岡市史通史編」の付図などによりますと、関東管領山内上杉氏の本拠である平井城北辺を防御するための支城のひとつとして捉えられています。あくまでも北辺からの脅威に対する防御を目的とした支城であるとしても、南側の余りに平坦な台地続きの部分は致命的な地形上の弱点であることは明白であると考えられます。もしも仮にこの弱点を克服するとした場合には余程大規模な空堀、土塁などの普請が必要とされることが予想されますが、現状の地形からはその様子の子細を窺い知ることはほとんど困難な状況です。
      −「藤岡市史 資料編」「現地解説版」より−

確認可能な遺構
 郭、土塁、堀跡、竪堀
文化財指定
 無
訪城年月日
 2007年12月24日
訪城の記録 記念撮影

( 2007/12/24 )
 丁寧な案内版
 世間一般では、本日はクリスマスなのでありました。折から城跡入口反対側に所在するケーキ店はちょっとした有名店でもあるようで正にクリスマスのかき入れ時の賑わいを呈しておりました。このため車の出入りも多く常時20台ほどの車が駐車中に。ケーキも買わずに停めさせていただくわけにもいかず、道路脇のスペースに寄せてハザードを点け駐車しダッシュで城跡へ。尤も途中でたちまち息切れしたのが幸いして、車両通行止めとなっていたアイスバーンの坂道で転倒せずに済んだのであります。
 比較的小規模な規模の城跡であるにもかかわらず、現地解説版に加えて入口には何と案内表示板さえも設置されているという懇切丁寧な配慮がなされておりました。 藤岡市の文化財担当課はかなり力を入れていることが窺える状況かと推察されました。
 さて肝心の遺構は、一部自然地形を利用した堀跡並びに土塁跡とも思いのほか良好な状態で存在。 コンクリートで覆われた堀跡の斜面は多少の違和感があるにせよ安全上の配慮から致し方のないところかと思われます。台地崖線を利用した天然の要害を形成する地形は、北西の水田地帯から一望するとまさに一目瞭然の崖端城なのでありました。

「三ツ木城の遠景」画像クリックで拡大します
北西の水田地帯よりの三ツ木城遠景
( 2007/12/24 撮影 )
訪城アルバム
凸1 立派な案内標識
 県道からの城跡への入口には、赤枠で囲んだようにまるで公民館の案内標識のような立派なサインポールが設置されておりました。城跡である神社境内へはここから徒歩で3分ほどの至近距離なので、群馬方面は全く地理不案内な某でも迷うことなく到達いたしました。
凸2 堀跡もしくは竪堀跡(推定)
 城跡西側に隣接する竹林の斜面に刻まれた竪堀状の地形。深さ1メートル以上、幅2間、長さ30メートルほどの規模を有しておりましたが、藤岡市の中世城館資料には特段の記述はありません。従って、後世の排水路である可能性もあるかも知れません。

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画像クリックで主郭からの画像へリンクします
凸3 西側の堀跡
 現在は狭いながらも舗装された市道となっておりますが、日照時間の少ない北側斜面に位置するため路面が凍結しておりました。この現状から堀の深さを推定することは困難ですが、堀幅については幅10mから20mの規模を有していたことが関係資料に記されています。
凸4 主郭南側の堀跡
 この地形は神社と公園へのアクセスのために左の写真の個所から東側へとつながるように新たに掘り下げられた切通しで、本来の堀跡は向かって右側の斜面の上方に所在しているようです。
南側の土塁跡の画像へ

画像クリックで現地解説版へ
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凸5 主郭に所在する豊受神社
 一年の内で一番日没が早い時期であるため児童公園を兼ねた神社の境内は全くの無人で、森閑として静まりかえっておりました。神社の社殿は主郭の西端に所在し、この鳥居の左側に立派な解説版が所在しています。
凸6 二の郭の土塁跡
 高さ1.5メートル、長さ50mほどの土塁が民家との境部分に現存しています。なお、その右側の落ち葉の積もった道は堀底道ではなく、あくまでも後世のものであると思われます。

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凸7 二の郭の土塁跡
 現在の地形からは、どの辺りまでが城郭の範囲であるか大分分かりにくくはなっていますが、少なくともこの土塁のある個所は間違いなく二の郭東側部分に相当しているようです。縄張り図によりますとこの右側の部分が主郭の東端ということになるようです。
凸8 主郭東側の堀跡
 元々天然の谷川を開削して水堀としていたようで現在でも水が流れており、万一落下しますと這い上がるのに難渋することは必定かと。左側の川原石を積んだ民家の生垣は勿論近年のものですが、城郭の範囲としては一応二の郭の東端にあたると思われます。
 また、山崎一氏の縄張り図によりますと、この堀跡対岸の竹林の辺りも城域に含まれているようです。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1979/新人物往来社)
「藤岡市史 資料編」(1993/藤岡市)
「藤岡市史 通史編−原始・古代・中世」(2000/藤岡市)
「藤岡市の歴史年表」(1996/藤岡市)
「藤岡地方の中世史料」(1988/藤岡市)
「群馬県多野郡誌(1927刊行の復刻本)」(1994/春秋社)・
「図説群馬の歴史」(1989/河出書房新社)
「史料で読み解く群馬の歴史」(2007/山川出版社)
「群馬県の歴史散歩」(2005/山川出版社
「群馬県の歴史」(1997/山川出版社)・藤岡市の公式HP

・2008/01/18 HPアップ
・2008/01/20 画像リンク訂正
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