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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2007/12/24のブログ 常岡城 東平井の砦 飛石の砦
所在地
 群馬県藤岡市藤岡字城屋敷1848、1849
歴史、人物、伝承

佐久依田氏の居城
 「藤岡市史」などによれば、信州佐久を本拠地とする国人衆芦田氏(あしたし)は信守(-1575)の代に甲斐武田氏に従属し信濃先方衆として武名を轟かせ、本能寺の変後の混乱期には徳川氏より真田氏とともに佐久地方平定の戦功を認められて徳川家に仕えました。しかし佐久平定時の岩尾城攻めの際に依田信蕃(よだのぶしげ 1548-1583)討ち死にを遂げたため、その嫡子である依田康国(1570-1590)は小諸城主として松平の姓を賜ったとされています。
改修か新規築造か
 さらに天正18年(1590)の後北条氏滅亡後、不慮の死を遂げた康国の実弟新九郎は徳川家康の関東入府に随行し藤岡3万石を拝領。その際に1年ほどの月日を費やして、この藤岡城を築城したといわれています。しかし「多野郡誌」にも記されているように、それ以前の時代にこの地に中世城郭(城館)が存在していたことを全面的に否定することは極めて不自然であり、政情不安の最中であることを考慮すれば既存の城郭を改修したという可能性も大いにありうると考えるべきかも知れません。

城主の実名は
 なお改易により最初で最後の城主となった康国の実弟の実名については異説が多く、「藤岡市史」関係では「康貞」(1574-1653)、「多野郡誌」では「康寛、幸正、康勝」、「戦国人名辞典」および「国史大辞典」(吉川弘文館)では「康真」と明記されています。家臣に対する刃傷事件による改易後には加藤性を名乗ったといわれ、結城秀康の家臣となった後その子孫は代々越前松平氏に仕えたとされています。また「康貞」と「康真」については、「くずし字」の場合にその判別がつきにくいことに起因しているものと考えられます。
 城名については別名「芦田城」(あした じょう)とも呼ばれ、この名称は依田氏の故地である佐久芦田に因むものと思われます。

確認可能な遺構
 土塁(北辺部分のみ残存)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2007年12月24日
訪城の記録 記念撮影

( 2007/12/24 )
 日没コールド寸前
 西日の傾きが次第に稜線にかかり始め次第に日没の時間が間近に。 ところが肝心の目印となる小学校がなかなか見つからず。 不思議に思いよくよく地図を見ると、何と県道には直接面していないことが判明したのであります。
  さて小学校の北側部分に城跡公園として延長80m、高さ6m超という大規模な土塁が現存。 幸いにして歴史的には実戦の役に立つことは無かったのは事実ですが、この規模の土塁と既に埋められたという幅20m、深さ5mほどの堀跡を加えれば、単郭とはいえども相当な威容を誇示していたことが窺われるのでありました。
 公園化され整備されているとはいえ、市街地内の平地城館でこれだけの規模の土塁が遺されていることに素直に感激。 なお、土塁の西端には大きな銅像と石碑が。 夕闇せまるなか目を擦りつつ説明文を拝見すると、この土塁部分を含めて小学校の敷地を寄付された方の顕彰碑なのでありました。 広大な土地を寄付された篤志家の方と土塁遺構を保存した行政当局に感謝を。

画像クリックで拡大します
威圧感を感じる藤岡城の北辺土塁(手前の空地が堀跡)
( 2007/12/24 撮影 )
訪城アルバム
小学校用地を寄贈された篤志家の銅像
城址緑地の看板
凸1 城跡を寄贈された方の顕彰碑など
 櫓台が所在したとも伝わる土塁西端には、戦後間もない時期に地元の篤志家の方が小学校用地として寄贈された事績を顕彰するための石碑と銅像が建立されておりました。
ジョギングができそうな土塁上へ
凸2 城址緑地の看板
 城跡の歴史的経緯などの説明は一切なく、ただひたすら城址公園の利用にあたっての、禁止・注意事項が箇条書きで記されておりました。
 松平の姓を受けた信濃の国衆である依田氏がこの藤岡3万石の城主であった時期は、徳川家康の関東入府から関ヶ原合戦までの僅か10年程に過ぎないとはいえ、史跡としての説明が多少なりとも欲しいところです。
土塁西端に埋め込まれた城址プレートへ
交通案内

・県道40号線西側藤岡市立第一小学校が目印

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1979/新人物往来社)
「藤岡市史 資料編」(1993/藤岡市)
「藤岡市の文化財」(2000/藤岡市)
「藤岡地方の中世史料」(1988/藤岡市)
「群馬県多野郡誌(1927刊行の復刻本)」(1994/春秋社)
「北武蔵・西上州の秘史」(川鍋 巌 著/2006/上毛新聞社)
「図説群馬の歴史」(1989/河出書房新社)
「藤岡市の歴史年表」(1996/藤岡市)
「藤岡市史 通史編−原始・古代・中世」(2000/藤岡市)・
「群馬県の歴史散歩」(2005/山川出版社)
「群馬県の歴史」(1997/山川出版社)

・2008/01/20 HPアップ
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