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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/10/21のブログ 藤岡城 小林館 中大塚城
所在地
 群馬県藤岡市藤岡字南山3134ほか
歴史、人物、伝承

平井城の支城か
 下記の関係資料によれば、庚申山丘陵北東先端部に占地する比高差約30mをはかる単郭構造の城郭で北東部に腰郭、北西部に帯郭を伴い、南側の稜線部分は延長100mにおよぶ堀切・土塁により仕切られていたとされている。なおその歴史的経緯については委細不明とされているが、地理的要件からは平井城の支城の一つと見るのが妥当であるように思われる。
 城館の名称は「群馬県の中世城館調査報告書」「藤岡市の中世資料」等より引用。別名を「大神宮山の砦」(「藤岡市史資料編」)「大神宮山砦」(「日本城郭全集」)とも。

確認可能な遺構
 主郭、腰郭、帯郭、堀切(小口)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年10月21日 12時50分から14時15分
訪城の記録 記念撮影

( 2008/11/27 )
 今シーズンの初潜り
 この日訪れた城館では唯一比高差を有する城館跡。とはいえ標高自体も低くその比高差は最大でも30mばかりで、また全体としても、丘陵中腹の帯郭、先端部の腰郭部分の地表観察の実施は未だ時期尚早なのでありました(汗)
 それならば肝心な南側の庚申山方面の尾根筋を区画する堀切部分は如何にということになるのでありますが、北側の帯郭方面から接近するも途中にて密生する篠竹に阻まれ到達不能。それでは南側尾根伝の細い山道方面から接近しようと試みたものの、残念ながらほぼ同様の状況でありました。
 半ば諦めつつ東側の中腹に刻まれた道路をトボトボと戻りつつ、恐らくこの辺りに堀切があるはずとよくよく繁みの中を観察。すると同好の士がかき分けたとものと思われる踏み跡らしき形跡を発見。せっかくの機会なので心の赴くまま、今シーズン初の藪潜りに誘われることに。無論未だこの時期には至る所に張り巡らされた蜘蛛の巣並びに薮蚊の大群による攻撃の妨害を受けながらの踏査をしてみました。
 なお、右ひざの手術に伴う松葉杖による歩行補助というのは藪潜りには全く向かないことも実証的に体験できました。すなわち本来は2本足に絡む枝草の類が合計3ヶ所に絡みつくという構図と相成り身動きが不能になるのであります(苦笑) それでも2度目で目標となる「摩利支天の祠」にも到達し、始めに行き着いた平坦な尾根筋上の僅かな窪みが、かつては「深さ2mの堀切跡」であったことなどを確認するに至ったのでありました。

「大神宮山城西側からの遠景」 ⇒ 画像クリックで拡大します
大神宮山城遠望
( 2008/10/21 撮影 )
訪城アルバム
「大神宮山城の主郭北端部」 ⇒ 画像クリックで拡大します
南側堀切推定地の目標物となる「摩利支天」の祠
凸1 主郭北東の先端部
 社殿の北側には主郭を成す丁寧に削平された平場が存在し、またその5mほど下方の北東先端部には主郭北西に所在する帯郭から続く50m×40mほどの腰郭状の削平地も所在しておりました。
 下りてみたいのは山々ではありましたが、退院してから未だ1ヶ月という事情のため、右膝は完調には程遠く止む無く自重することに。
 それならばせめて画像だけでも残したいと思い、角度を変えたりしながら、幾度となくデジカメ撮影を試みたのでありますが、複数の忠実なる番犬の再三再四にわたる威嚇とも相俟って、凄まじい草木の繁殖のためにその削平地の地形を表現することは不可能なのでありました(苦笑)
凸2 摩利支天の堂宇
 摩利支天は元来はインドの民間信仰の神ですが、わが国では武士の守り本尊とされ尊崇されたといわれています。城跡の南限手前に所在しているために城跡との関連が窺えますがその詳細不明です。
 なお、このすぐ南側に郭内側に低土塁と小口を伴う長さ約100mの堀切遺構があるはずなのですが、真冬から早春の時期でもない限り確認不可能です。
 堀切も相当に埋没している様子(リンク画像右側が郭内)で、靴の先で地面をなぞって確認するような始末。ただしこの堂宇左手に高さ1mから2m程度の人工的な斜面が残っており、これが多分土塁及び堀切跡であると思われます。更にこの南側には自然地形の鞍部も所在し、恰も二重の堀切として機能していたことも想定されます。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1979/新人物往来社)
「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)

■郷土史・歴史関係
「藤岡市史 資料編」(1993/藤岡市)
「藤岡市史 通史編−原始・古代・中世」(2000/藤岡市)
「藤岡市の歴史年表」(1996/藤岡市)
「藤岡地方の中世史料」(1988/藤岡市)
「角川地名大辞典10群馬県」(1988/角川書店)

■史料
■「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 上毛古城塁址一覧を所収

■その他
「群馬県文化財情報システム」(文化財データベース)

・2008/11/27 HPアップ
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