凸白岩城館群のひとつ 「山形県中世城館遺跡調査報告書」等によれば、稲荷山城を中核とした数か所ほどの城館遺構から構成される戦国期の白岩城館群のひとつとされている。白岩城館群のなかでは標高244mを有し、水田面からの比高差が最も大きいことから所謂詰城のような役割を担っていたものとも想定される。 南麓を庄内に続く六十里街道が通過する要衝白岩上楯山、白岩八幡楯を見下ろす寒河江川北岸に位置し、溝延茂信の子政廣を初代とする大江氏一族白岩氏の拠点であったという。「安中坊系図」によると、政廣−明代−廣茂−満教−満廣−宗廣−廣隆と続くというが、「日本城郭体系」などのように満廣を初代とする見方もある。(「寒河江市史 上巻」などより)
凸 おまけのおまけ ( 2010/09/19 記述 ) 南東に所在する八幡楯の方については実際に訪れていますが、白岩上楯山と同様に事前情報および資料の不足等のため全く踏査を行っておりません。画像を撮影した時点では単に白岩上楯山からの尾根続きの地形として記録しておいたのですが、この日の夕刻に市立図書館で調べ物を行った際に、初めて中世城館跡であったことを知ったような次第でありました(恥)このような訳で、あくまでも備忘録の付箋のような頁であります。 標高244mの低山ですが、仮に踏査するとすれば残雪と新緑の芽吹きの影響の受けにくい3月末頃から4月初旬頃が相応しそうです。遠方故に果たして何時の事になるのか全く見当もつきませんが、城館群全体として全く把握できていないので、次回遠征以降の大きな課題のひとつとなってしまいました。 なお「山形県中世城館遺跡調査報告書」に収録されている所在地情報は、時々マーキングがずれたり、城館名の表示と一致しない場合などが見受けられます。従って略測図が付されている場合以外のケースについては所在地情報の再確認が必要な場合があるようです。
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