凸白岩城館群のひとつ 「山形県中世城館遺跡調査報告書」等によれば、稲荷山城を中核とした数か所ほどの城館遺構から構成される戦国期の白岩城館群のひとつとされている。 寒河江川沿岸を俯瞰し南麓を庄内に続く六十里街道が通過する要衝で、溝延茂信の子政廣を初代とする大江氏一族白岩氏の拠点であったという。「安中坊系図」によると、政廣−明代−廣茂−満教−満廣−宗廣−廣隆と続くというが、「日本城郭体系」などのように満廣を初代とする見方もある。(「寒河江市史 上巻」などより)
凸 備忘録 ( 2010/09/17 記述 ) 東隣の八幡楯の方については実際に訪れていますが、こちらの方は事前情報および資料の不足等のため全く踏査を行っておりません。画像を撮影した時点では何となく気になる地形のひとつとして把握しておいたのですが、この日の夕刻に市立図書館で調べ物を行い初めて中世城館跡であったことを知ったような次第でありました。このような訳で、あくまでも備忘録のような頁であります(苦笑) 標高210.3mほどの低山ですが、仮に踏査するとすれば残雪と新緑の芽吹きの影響の受けにくい3月末頃から4月初旬頃が相応しそうです。遠方故に果たして何時の事になるのか全く見当もつきませんが、城館群としての捉え方が全く出来ていないこともあり、次回遠征以降の大きな課題のひとつとなってしまいました。
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