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栃木県足利市の城館索引へ戻る 樺崎城遠景 樺崎城のバナー 帯郭
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009年2月21日のブログ 鳩ノ峰城 赤見駒場城
所在地
 栃木県足利市樺崎町2266ほか
歴史、人物、伝承

源姓足利氏の築城か
 樺崎寺を創建した源氏姓足利氏2代目の足利義兼との関係が推定されますが、築城の経緯や時代背景については明確ではないようです。
 時代は下り、文明3年4月(1471)の赤見城、樺崎城、八椚城などが攻略され、古河公方足利成氏の勢力が山内上杉氏(長尾氏)に敗北したことが記録されています。その当時樺崎城主であった南持宗は討死を遂げ、上杉顕定、長尾景信、横瀬国繁らは室町幕府将軍足利義政より感状を下賜されています。(「松陰私語」などより)
 また、戦国時代末期の足利長尾氏と佐野氏の抗争の舞台としても登場し、近接する赤見駒場城などとの相互関係も窺われます。
 

確認可能な遺構
 主郭、帯郭、腰郭、土塁
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年2月21日 12時30分から13時40分
訪城の記録 記念撮影

 東側の赤見駒場城の尾根筋からは90mほどの降下で、 樺崎城山頂までの山道は思いのほか荒れておらずルートも明瞭です。 主郭および周辺の帯郭、腰郭群も概ね良好に残存しています。なお堀切状地形は少なくとも北東尾根筋と南東稜線続きには確認できません。
 さて、下山は予定通りに北麓目指してまっしぐら。 さほどの傾斜は無いのでつまりは直降モードに。麓を流れる2本の谷川も勢いに任せて難なく渡河。 登りの時には、からきし弱い管理人ですが、しかし下りならば絶好調に変ずるのであります。 なお今回は珍しく枯葉の斜面で滑るようなこともなく、前々回から供用開始した新しい靴の効果も確認できました。

( 2011/9/14 記述 )
樺崎城遠景
樺崎城遠景 −画像A−
(画像中央部の丘陵地帯)
( 2009年2月21日 撮影 )

(注1) 「矢印と番号」は、およその撮影地点と方向を示しますがあくまでも大雑把なものに過ぎません。
(注2)なお、この「概念図」については「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」掲載の情報を基に現地での印象を加味して作成しています。また画像の右下に見える尾根筋状の道は赤見駒場城方面からの踏み跡となります。

樺崎城の概念図 ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
東側下段の帯郭
東側上段の帯郭
凸1 下段の帯郭
 主郭東側下段部分の帯郭で削平跡が綺麗に確認できます。
凸2 上段の帯郭
 下段の帯郭よりも幅がやや大きな印象があります。

土塁
主郭
凸3 土塁
 主郭南側の低土塁で、高さは保存状況の良好な個所で0.8m前後を測ります。
凸4 主郭
 東側から撮影した主郭で東西約50m、南北約25mの長方形をしています。土塁が全周していたとしますと主郭内部に籠れる人数は100人足らずと推定されます。
交通案内

・比高差約150m
※この辺りの低山では近年おいては害獣除けの柵が麓に設置されているため入山が難しくなっているようです。
いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図
凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「関東地方の中世城館1栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1981/新人物往来社)
「続・群馬の古城」(2008/山崎一著/あかぎ出版)

■郷土史・歴史関係
「角川地名大辞典栃木県」(1984/角川書店)
「近代足利市史1」(1977/足利市)
「史跡樺崎寺跡」(2006/長太三著)

■その他
「奈良文化財研究所遺跡データベース」

・2011/09/11 HPアップ
・2019/06/11 画像ズレ補正、交通案内付記
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