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千葉県印西市の城館索引へ戻る  手倉砦全景 手倉砦のバナー 手倉砦土塁
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2010/02/22のブログ 小森城 神々廻城
所在地
 千葉県印西市白幡字手倉山
歴史、人物、伝承

浦部竜崖城の出城?
 手賀沼へと北流れする小谷津のひとつの最奥部に所在する舌状台地の先端部に占地し、水田面との比高差は約15mほどを測。南側の台地続き及び南東側の入り谷津に形成されている緩斜面を除けば、峻険な崖線部に防御される要害性の高い地形である。浦部地区に所在する竜崖城との関連が示唆されているが、その具体的理由については示されてはいない。(「日本城郭体系 6」)
 近世以降における地形の改変が推定されているが、近隣の小森城の縄張り構造と比較した場合には3か所の櫓台の存在に加え、小口構造の工夫の跡などが読み取れることから、より戦国期の城郭に近い存在と考えるべきであろう。

確認可能な遺構
 土塁、空堀、櫓台、小口、腰郭
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2010年2月22日 13時40分から15時20分
訪城の記録 記念撮影

 方形複郭構造 ( 2010/09/03 記述 )
 後世での野牧としての利用が推定されていますが、遺構状態は神々廻城に比して良好であり多少棘が目立つ程度であり藪も見通しが利かないというほどには酷いものではありません。
 日本城郭体系には「方形単郭」との記述が為されていますが、実際の構造は南北に配置された連郭形式の遺構となっており、「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書1」において示されているように明らかな複郭構造を形成しています。南北の郭はそれぞれ一辺の長さは約50mほどで、台地地形の関係もあり南側の台地基部に近い郭2方がやや広く作られています。
 土塁に伴う外部の空堀は堀幅約6mほどですが、全体として枯葉などにより埋没しているため堀跡のラインが曖昧な個所も見受けられます。北側の郭1には北東部を除いたコーナー部に合計3か所の櫓台状の地形を伴うことも確認できます。北郭の北側には広大な腰郭状の平坦地が所在し北端の小規模な腰郭へと続いています。また南部方形郭の南東部には2段ほどの削平地も確認することができますが、後世の地形改変の可能性も否定できないものと考えられます。
 帰路になって気付きましたが、県道の西側に見える電波中継塔を目印にして、そのまま丘陵を西方へ横断すると麓の用水路を飛び越えることもなく最短ルートで到達できます。

手倉砦全景 ⇒ 画像クリックで拡大します
手倉砦の全景 −画像A−
( 2010/02/22 撮影 )


(注1) 「矢印と番号」は、およその撮影地点と方向を示しますがあくまでも大雑把なものに過ぎません。
(注2)なお、この「概念図」については「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書1」/1995/千葉県教育委員会)掲載の略測図等を基本に、必要に応じて現地での印象などを加味させていただきました。

手倉砦概念図 ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
郭2の西側空堀と土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
郭2の南西角付近 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 郭2の西側空堀と土塁
 現状の空堀の堀幅は約6m、深さは郭側でも1m前後と、かなり埋没しているという印象があります。
凸2 郭2の南西角付近
 郭2の南西角付近の土塁ラインは障害となる藪も少なく比較的明瞭に確認することができます。

2郭の南側土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
郭1の南東角の櫓台 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 2郭の南側土塁
 画像左側が郭内で右側が空堀跡なのですが、木の葉が堆積し土塁以上に空堀としてのラインは余り明確ではありません。
凸4 郭1の南東角の櫓台
 画像中段の右端に櫓台状の地形が写っているのですが、肉眼との落差が余りに大きいことに落胆しています。櫓台としての高さは目測で2m前後を測ります。

郭1の南側土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
郭1北西角の櫓台 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸5 郭1の南側土塁
 郭1と南側の郭2を事実上区画している土塁ですが、基底部の幅はこの個所も含め6mを超えるようなものはなく、比較的小規模な低土塁という印象が残ります。
凸6 郭1北西角の櫓台
 郭1に伴う3か所の櫓台状地形の内最も規模の大きなもので、北側の緩斜面の削平地から見た見かけ上の高さは目測で約3mほどを測るものと思われます。

台地北端部の腰郭 ⇒ 画像クリックで拡大します
郭1南西角の櫓台 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸7 台地北端部の腰郭
 城跡が占地する舌状台地の最北端に所在する小規模な削平地ですが、この腰郭の存在は当該地形が城館跡であることを示す明確な証左のひとつです。
凸8 郭1南西角の櫓台
 西側中央部に所在する櫓台状地形のひとつで高さは約1.5mほど。この小口付近には帯郭乃至は堀底道での人の動きを制約する工夫が講じられています。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「日本城郭体系 6」(1981/新人物往来社)
→「方形単郭の遺構がある。浦部竜崖城の出城か」と記されているが、実際には方形複郭構造の遺構である。「浦部竜崖城の出城」説の根拠は不明だが、竜崖城との間の距離は直線にして約1.2kmと比較的短いことは事実である。

「関東地方の中世城館1埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
⇒「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書1」(1995/千葉県教育委員会)の復刻版
→歴史的経緯については、近世において野牧として利用された旨の可能性が示唆されているほかには特段の記述は見られない。、

■郷土史・歴史関係
「白井の中世を探る」(平成12年度企画展解説資料/白井市郷土資料館)
「印西牧場之真景図の世界」(平成21年度企画展
「角川地名大辞典県12」(1984/角川書店)
→白幡村の石高について元禄郷帳に67石と記され、近世前の生産高はけっして高くはなかったことが記されている。

「千葉県印旛郡誌後篇」(1912刊/1971崙書房より復刻)
「常総内海の中世」(千野原靖方/2007崙書房)
「利根川荒川事典」(1997/金井忠夫/近代文芸社)
「利根川の歴史」(2001/国書刊行会)

■史料


■その他


・2010/09/03 HPアップ
・2019/06/16 画像ズレ補正
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