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2009/02/18のブログ 凸中根城 凸(仮称)荒野の土塁 | |
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千葉県印旛郡本埜村笠神(南陽院を含む独立丘陵) |
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郭、土塁、堀切、土橋、小口、切岸ほか |
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なし |
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2009年2月18日 14時00分から15時40分 |
( 2009/02/18 撮影 )
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凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係
「日本城郭体系 6」(1981/新人物往来社)・「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社) 「関東地方の中世城館1埼玉・千葉」(1996/東洋書林) ■郷土史・歴史関係 「本埜の歴史」(2008/本埜村)、「印旛村史」(1984/印旛村)、「角川地名大辞典県12」(1984/角川書店) 「「千葉県の歴史」(2000/山川出版社) 「戦争の日本史10東国の戦国合戦」(市村高男/2009/吉川弘文館) 「佐倉市史」(1971/佐倉市) 「戦国期東国の大名と国衆」(黒田基樹/2001/岩田書院) ⇒「臼井原氏の基礎的検討」において千葉氏の執政として活躍した臼井原氏とその従属的領主である小金高城氏、土気酒井氏、府河豊島氏など実態について論じられています。 「戦国大名領国の支配構造」(黒田基樹/1997/岩田書院) ⇒「松田憲法に関する一考察」中において、常総地域の国人領主階層の動向が記されています。 「常総内海の中世」(千野原靖方/2007崙書房) ⇒常総の中世における水運(水軍)と在地領主の動向が詳述されています。 「常総戦国史」(川島 建/2002/崙書房) 「東国戦記実録」(小菅與四郎1926初刊/1971影印版/崙書房) 茨城県筑波郡足高村(現つくばみらい市)の小菅與四郎(こすげ よしろう)氏が、「東国戦記」と呼ばれていた常総の戦国時代について記された軍記物をベースにして、明治末期から大正末年にかけて補訂を行い大正末年に編集刊行したもの。 底本とされる近世において流布していた「東国戦記」の原本(「写本」のみ現存)については、「国立国会図書館」では未所蔵ですが、「国立公文書館」および「東大史料編纂所」に写本(「異本」か)の一部などが現存するとのことです。ただしこれら現存する写本と同一のものを使用したのかについては定かではない模様です。 下記の「東国闘戦見聞私記」も同様ですが、試しに音読してみたところでは正に「講談調」そのものでありました。(「国立文学研究資料館の公式HP」「国立公文書館の公式HP」「伊奈町史−史料編1」等を参考) 「東国闘戦見聞私記」(1907初刊7/1997復刻/常野文献社) 天文23年から慶長(徳川氏支配初期)までの常総地域における合戦について、下野の戦国武将皆川広照と大道寺友山(⇒寛永16年生まれである後北条氏重臣大道寺政繁の曾孫なので現実にはあり得ない)が物語った内容を纏めた一書を、江戸時代の講釈師である神田仁右衛門尉貞興志融軒(かんだ じんうえもん さだおき しゆうけん?)が故あって譲渡されこれを40巻に編纂。さらに刊本の校訂者である吉原格斎の外祖父の門人である増田某から譲り受けたという甚だ複雑怪奇な経緯が記されていることが示すように当初における成立過程に大きな疑問を抱かざるを得ません。文体は些か異なりますが、その内容については上記の「東国戦記実録」と共通するものとなっています。 この記述については、その大半を下記「戦国軍記事典 群雄割拠編」より引用しました。 「戦国軍記事典 群雄割拠編」(1997/和泉書院) ■史料 なし ■その他 なし ・2009/10/12 暫定版HPアップ
・2019/06/23 画像ズレ補正 |