凸近世の牧跡? 県道65号線の西、国道464号線の北側の台地上に所在する土塁状地形で、近くには以前からの人家も少なく、また関係資料も見当たらないのでその経緯については全く不明です。 あくまでも推測の域を出るものではありませんが、中世・近世の屋敷跡等に付随するものというよりも、寧ろこの周辺で散見される同時代の「牧跡」という可能性などを想定したくなるような台地状地形なのでありました。
凸 谷筋一本分の間違い 本来は「荒野城山」が目的地のなのでありました。国土地理院の「電子国土」上から、概ねの所在地を把握していた筈。ところが肝心の現地において、当該推定地を間違えて谷筋1本分東側の方面を探索するような始末にて。そもそも山林に囲まれた畑の航空写真の資料と似通っていたのが間違いの元らしく... 然しよくよく冷静に考えてみれば、谷津田からは見づらいとはいっても、北総鉄道の車両基地の建物が地図上とは異なる場所に見えていることにもっと早くに気付くべきことで。2月に訪れたばかりの確かに見覚えのある県道65号佐倉印旛線まで辿り着いてから、漸く間違えたことに気付くような醜態を露呈したのでありました。 この間の所要時間は何と1時間近くも。貴重な時間に加えて、初っ端から最近とみに欠乏気味の体力・気力を早々と喪失。 そうしたなか、たまたま県道沿いの平地林の中にて、この土塁状地形に遭遇いたしました。高さは目測でおよそ1.2m前後、南側部分の延長距離は全体で15m前後かと推測されました。3月上旬の落葉期であるにも拘らず、平地林の見通しはあまり芳しくはなく、ひっそりと木立に埋もれるように所在しておりました。ただし農道により幅約3mほどが分断され、北側には建設会社の資材置場が隣接するという環境。無論、その歴史的経緯等は全く不明なのであります。
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