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千葉県本埜村の城館索引へ戻る  荒野の土塁 荒野の土塁 荒野の土塁
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009/03/02のブログ 中根城
所在地
 千葉県印旛郡本埜村荒野
歴史、人物、伝承

近世の牧跡?
 県道65号線の西、国道464号線の北側の台地上に所在する土塁状地形で、近くには以前からの人家も少なく、また関係資料も見当たらないのでその経緯については全く不明です。
 あくまでも推測の域を出るものではありませんが、中世・近世の屋敷跡等に付随するものというよりも、寧ろこの周辺で散見される同時代の「牧跡」という可能性などを想定したくなるような台地状地形なのでありました。

確認可能な遺構
 土塁?
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年3月2日 8時00分から8時50分
訪城の記録 記念撮影

 谷筋一本分の間違い
 本来は「荒野城山」が目的地のなのでありました。国土地理院の「電子国土」上から、概ねの所在地を把握していた筈。ところが肝心の現地において、当該推定地を間違えて谷筋1本分東側の方面を探索するような始末にて。そもそも山林に囲まれた畑の航空写真の資料と似通っていたのが間違いの元らしく...
 然しよくよく冷静に考えてみれば、谷津田からは見づらいとはいっても、北総鉄道の車両基地の建物が地図上とは異なる場所に見えていることにもっと早くに気付くべきことで。2月に訪れたばかりの確かに見覚えのある県道65号佐倉印旛線まで辿り着いてから、漸く間違えたことに気付くような醜態を露呈したのでありました。
 この間の所要時間は何と1時間近くも。貴重な時間に加えて、初っ端から最近とみに欠乏気味の体力・気力を早々と喪失。
 そうしたなか、たまたま県道沿いの平地林の中にて、この土塁状地形に遭遇いたしました。高さは目測でおよそ1.2m前後、南側部分の延長距離は全体で15m前後かと推測されました。3月上旬の落葉期であるにも拘らず、平地林の見通しはあまり芳しくはなく、ひっそりと木立に埋もれるように所在しておりました。ただし農道により幅約3mほどが分断され、北側には建設会社の資材置場が隣接するという環境。無論、その歴史的経緯等は全く不明なのであります。

( 2009/08/22 記述 )
「荒野の土塁」西側の風景 ⇒ 画像クリックで拡大します
西側の耕作地と平地林
( 2009/03/02 撮影 )


(注) 撮影方向を示す「矢印とアルバムの番号」および「概念図自体」も相当に大雑把なものです。
荒野の土塁概念図 ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
「荒野の土塁」北側部分 ⇒ 画像クリックで拡大します
「荒野の土塁」南側部分 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 土塁北側部分
 高さは約1.2mほどですが、画像の右側(北側)に建設会社の資材置場が設置されているために、その長さは僅かに4mほど残存しているに過ぎません。
 恐らくはこの宅地化に伴い、かなりの部分が消失したものと想定されました。
凸2 土塁南側部分
 左の画像のとおり幅約3mほどの農道で分断されていますが、この南側部分の塁線は僅かながら東側に張出していることは確認できますが、即「喰違い小口」であるかどうかについては判断しかねました。
 また画像手前部分が、やや窪地状地形を形成しているようにも思えたのでありました。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
なし

■郷土史・歴史関係
「角川地名大辞典県12」(1984/角川書店)
「本埜の歴史」(2008/本埜村)、「印旛村史」(1984/印旛村)

■史料
なし
■その他
なし

・2009/08/22 HPアップ
・2019/06/23 画像ズレ補正
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