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千葉県印旛村の城館索引へ戻る  船戸城 船戸城 船戸城
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009/03/07のブログ 高田山城 岩戸城
所在地
 千葉県印旛郡印旛村岩戸字船戸(根古屋)
歴史、人物、伝承

戦国期臼井原氏の支城か
 師戸(利根川図誌ではでは諸戸とも表記)城の師戸川を挟んだ対岸の西方約600mの東西方向に細長くのびた台地上に所在しています。地理的には臼井城の支城とされる師戸城との関係が推定され、中世当時においては印旛沼の北岸に沿接した地形となっていたようです。出桝状土塁の存在からは台地続きの西側部分を意識した構造であることが推定され、この点については高田山城の外郭構造との類似性が感じられます。
 なお当該小字の名称については、「中近世城館報告書」では船戸と記され、「印旛村史」では根古屋と記されていますが、これは城跡字体が両地域にまたがって所在していたことによるものなのでしょうか。
 また「同村史」では高田山城と同様に戦国期の城郭であろうと推定されており、さらに「城郭と中世の東国」では天正年間における臼井原氏(原胤栄)との関係が示唆されています。

確認可能な遺構
 土塁、空堀、郭、腰郭
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年3月2日 16時20分から16時35分
訪城の記録 記念撮影

 郭が...
 岩戸城と同様に県道64号千葉臼井印西線沿いのため、こちらも所在地だけは直ちに判明しましたが何分にも日没までの残り時間か少なく。住宅裏側の台地が郭跡との事前情報をえているだけでした。眼前にはこれらの宅地化などに伴いかなりの部分が土砂の採掘により消滅している様子がありありと展開しておりました。
 それでも西側の空堀、北側の腰郭、主郭の出枡などは概ね良好な状態で現存していたことに感動をいたしました。然し、いよいよ日没までの時間が迫り始めたため、誠に慌ただしくさらに東方の師戸城方面へと移動を開始したのでありました。

( 2010/01/07 記述 )
船戸城西側の空堀と土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
船戸城西側の空堀と土塁
( 2009/03/07 撮影 )


(注) 「矢印と番号」は、およその撮影地点と方向を示していますがあくまでも極めて大雑把なものです。なお、概念図については「城郭と中世の東国」掲載の縄張図を基本に作成をさせていただきました。
船戸城概念図 ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
船戸城西側の空堀と土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
船戸城の土塁と郭跡 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 西側空堀と土塁
 目測では幅約10m、深さ最大5mを測る郭西側の空堀部分で、この辺りが最も規模の大きさが伝わる個所。また経緯不明ですが、城跡について最もよく旧情を伝えていると思われる「印旛村史」には、肝心の縄張図が未収録なのでありました。
 なお、南側の昭和初期に実施されたという県道拡張以前には西側から城跡へと続く古道が存在していた旨の伝聞があったとのこと。
「高田山城」と共通する出桝状土塁の角部分。
⇒土塁より6mほど下方に位置する北側の腰郭で、最大幅は約5m、長さ約30mの東西方向に長い三角形状を呈しておりました。

 
凸2 土塁と郭跡
 画像正面の部分が出桝状土塁の上方部分。
⇒北側の腰郭に対して横矢のかかる高さ約2mほどの土塁遺構。
西側の土塁上
⇒一時的な耕地化等の原因なども想定されますが、昭和50年代以前から存在していたという地形の意図が掴みにくい東西を分けている50cmから80cmほどの郭内の段差部分。
⇒元来がやや細長い台地先端地形のところ、印旛沼の干拓事業により土砂の採掘によりさらに大きく地形が変貌した郭跡東側部分。
⇒同様の理由により、急崖に変貌したと思われる郭東側部分

交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「関東地方の中世城館1埼玉・千葉」(1996/東洋書林)
「城郭と中世の東国」(千葉城郭研究会編/2005/高志書院)
⇒198頁から199頁にかけて「縄張図」を含む記述が掲載されています。

■郷土史・歴史関係
「印旛村史」(1984/印旛村)
⇒遺構の概要と時代背景の推定に関する記述はありますが、縄張り図については掲載されていません。
「千葉県印旛郡誌下巻」(1912刊/1971崙書房より復刻)※直接の記述なし

■史料

■その他

・2010/01/08 HPアップ
・2019/06/19 画像ズレ補正
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