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2017年12月12日のブログ 凸新宮城 凸竹中城 凸服部城 |
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滋賀県甲賀市甲南町新治小字山口谷、大門 |
( 2017年12月12日 撮影 ) 「画像2」の個所から膝上から腰の辺りまで伸びた草をかき分け南側の堀切西端付近に到着しましたが、この先は画像右手から続く小さな谷筋の流路部分に相当していることもあり、12月中旬とはいえ足元の地番は極めて軟弱になっておりました。画像左側は主郭西側の土塁切岸となりますが、足元の沈みこみもあるため、そう簡単には這い上がれそうにはありませんでした。
( 2017年12月12日 撮影 ) 小さな流路を倒木の上を歩いたりしてやりすごして、どうにかこの堀切の先端部まで来たのですが、今度は倒木群に進路を阻まれ、やむを得ず画像右手の斜面を這い上がり「画像C」の個所へと移動しました。※別途城跡東麓の県道49号線沿いからのルートもあるようなのですが、登りが苦手なのでついつい楽をしようと思ったのが間違いの元のようでした (^^ゞ
( 2017年12月12日 撮影 ) 新宮支城の主郭部南側の土塁切岸です。この地点から斜面を下りて東側に回り込み郭内を目指すつもりでしたが、既に疲労のため足首に力が入らなくなり始めておりました。時刻も午後3時を過ぎ、足元の地面もストックが20cmほど埋没するという特有の柔らかさもあり、最悪の転倒、捻挫という局面を回避すべくあっさりと撤退をいたしました。あらためて地面自体は柔らかさを感じるにもかかわらず、斜面の土は流れにくいという不思議な感触を痛感しました。なお、手前の部分も城跡の一部のような尾根筋の人為的な加工の形跡が感じられます。
( 2018年2月7日 作成 ) 国土地理院の電子国土サイトからダウンロードし手を加えたもので、北西約200mには服部城、南約50mには新宮支城ともいわれる城館跡も所在しています。なお南側の方形の道路はこの当時に開始された住宅地の造成工事に伴うものです。今回(2017年12月12日の探訪)は寺前城、村雨城、杉谷砦方面へは時間切れのため足を延ばすことができませんでした。
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凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係 ■歴史・郷土史関係 ・2018年2月7日 HPアップ
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