滋賀県内の城館跡目次
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滋賀県の城館索引へ戻る 補陀楽寺城の土塁 補陀楽寺城のロゴ 補陀楽寺城
1歴史・伝承  2残存遺構  3訪城記録・記念撮影  4アルバム  5交通案内  6参考・引用資料  7更新記録
関連ページへのリンク  2017年12月11日のブログ 市場陣山城 別府城 大原城
所在地
 滋賀県甲賀市甲賀町大原市場小字中野
歴史、人物、伝承

経緯不詳
 杣川北の平地で大原川の合流点に近く、南東約50mには市場陣山城が所在している。現在はJR草津線の軌道の存在により南西部の様子を伺うことが困難となっており、城域に関しては残存していた土塁の配置状況などから一辺が概ね50mほどの単郭の方形土塁に囲繞された区画が想定されるとしている。そうした規模に限定すれば甲賀地方に散見される典型的な平地の城館となるのだが、鉄道敷設あるいは現在の町場が形成される以前の様子が不明であることから、その城域や縄張りについては不明と解すべきではないだろうか。
 築城の背景、城主などについては不明とされているが、天正13年の「甲賀ゆれ」までは当地における有力領主であった大原氏とその一族が浮かび上がるがむろん推論の域を出ず確証を得るものではない。

確認可能な遺構
 方形土塁の一部(北東および南東)、付近に観光案内板あり
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2017年12月11日 15時40分から15時50分
訪城の記録 記念撮影

 西日
 城跡は補陀楽寺境内に所在していますが、むしろ同寺が無住のようでもあり公民館の建物も大きいことから公民館の敷地の片隅に同寺堂宇が所在しているといったほうが実態を反映しているように思えました。
土塁遺構は同寺の北東側と南東側にそれぞれ残存していますが、同所の公民館建設などにより発掘調査は行われましたが、北西部が削平消失するなどその規模は改変縮小されているようです。
 さてこの日の天候は結局のところ空模様は良い方にはずれたらしく、降雪が懸念されていた降り残しの雪雲は彦根辺りで南下が止まり、風はやや強く冷たいものの晴れ時々曇りの空模様となりました。おかげで城館探訪の方も麓から見上げただけの個所も入れればどうにか10か所の探訪となりました。ここ数年は年齢を重ねてきたことも影響しているらしく、遠征では2日目のモチベーション維持が大きな課題でもありましたが、昨日は初日からモチベーション維持が危うくなりかけていたことを考えれば誠にベターな目的地の選択でした。一日の歩行距離自体も20km足らずと極めて少ないことから弱ってきた足回りには相応しいようです。甲賀駅への帰路は眩しげな西日を浴び充実した一日を過ごせたことに感謝。その足取りには近年にない軽やかさを感じていました。
( 2018/1/29 )記述
補陀楽寺城の北東土塁
補陀楽寺城の北東土塁 −画像A−
( 2017年12月11日 撮影 )
 北東部土塁り北西先端部分を撮影したもので、この辺りが最も見栄えがしそうなアングルでした^^ 20年ほど前まではこの位置から現在の公民館の裏手の方まで北西辺の土塁が残存していたようですが、残念ながら当該公民館の建設などに伴い削平を受けて消失した模様です。

補陀楽寺城とその周辺の航空写真画像
補陀楽寺城とその周辺の航空写真画像 −画像B−
( 2018年1月29日 編集加工 )
1963年1月に撮影された国土地理院の航空写真をダウンロードして編集加工したもので、南東方向の市場陣山との距離の近さなどがはっきりと確認できます。

訪城アルバム
赤影参上
凸1 赤影参上
 甲賀忍者の里でもあり市内の各所にはこうした古風を凝らしたモニュメントが設置されています。本来の目的は「児童の飛び出し注意」という交通安全を目的としたものですが、見慣れてくると実にいろいろなパターンがありそれ自体を楽しみながら探訪している自分に気がつきました。
補陀楽寺北の県道4号草津伊賀線交差点付近で撮影。

観光案内板 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸2 観光案内板
 「画像1」にも写りこんでいる観光案内板で、近くの市場陣山城や補陀楽寺そのものついては記されていますが当城については記載されてはいませんでした。

南東の土塁
凸3 南東の土塁
 南東に残されている土塁は長さ約20mほどで、その両端は通路などの設置により削られていることが分かります。。

補陀楽寺の解説板 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸4 補陀楽寺の解説板
 同寺前に設置されている解説板ですが、城跡に関する記述は無いようです。

凸5 北東の土塁
 北東部の土塁を境内側から撮影したもので、同寺に関連する石造物が祀られていました。

補陀楽寺本堂
凸6 補陀楽寺本堂
 南西側を向いた同寺本堂で寛延2年(1749)に再建された建物だそうです。同寺は以前には甲賀駅の南方の杣川北岸(別府城の南東約150m付近)に所在していた模様ですが、当城の廃城以後から江戸時代中期の間に移転してきたのかも知れません。

補陀楽寺山門
凸7 補陀楽寺山門
 天台宗別府山補陀楽寺の山門。日没間近の時刻なので丁度夕日が南西方向から照らしています。「別府」の地名は平安期末の荘園に関わる地名ともいわれていますが、別項の「別府城」という名称との関わりもありそうに思われます。

交通案内


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いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「日本城郭全集」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)記載なし
「日本城郭体系第11巻」(1980/新人物往来社)記載あり
 ⇒ 市場陣山城に含めた説明が記載される一方で、一覧表にも記載されるなど扱いが混乱しているきらいがある。
「図解近畿の城郭第3巻」(2016/戎光祥出版) ⇒ 縄張り図付の解説あり
「近畿の名城を歩く 滋賀・京都・奈良編」(2015/吉川弘文館)記載なし
「近江の山城ベスト50を歩く」(2006/サンライズ出版)記載なし
「近江城郭探訪 合戦の舞台を歩く」(2006/サンライズ出版)記載なし

歴史・郷土史関係
「角川日本地名大辞典25滋賀県」(1979/角川書店)
「甲賀市史第2巻、第7巻、第8巻」(/甲賀市)
「和田惟政と甲賀武士」(2008/和田晋次著)
「戦国武将合戦事典」(2005/吉川弘文館)
「日本史広辞典」(1997/山川出版社)
「戦国大名家辞典」(2013/東京堂出版)

史料、地誌、軍記物
「甲賀郡志 復刻版」(1978/名著出版)

その他
国土地理院地図および航空写真


更新記録
・2018年1月29日 HPアップ
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