滋賀県内の城館跡目次
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1歴史・伝承  2残存遺構  3訪城記録・記念撮影  4アルバム  5交通案内  6参考・引用資料  7更新記録
関連ページへのリンク  2017年12月11日のブログ 大原城 別府城 
所在地
 滋賀県甲賀市甲賀町大原市場小字東浦、向井
歴史、人物、伝承

経緯不詳
 北側から続く低段丘の南端部に所在しているが、JR草津線の線路により南北に分断され、近年は県道775号線の隧道が建設されその周辺環境は大きく変化している。このため現在は南側の竹林を含む雑木林に土塁と削平地などからなる遺構が残存しているに過ぎない。また陣山の呼称が伝わるというものの、臨時的な陣城であることに由来するものであるのか、あるいは一定期間存続していた甲賀衆などの城館であるのかについても不明である。文献史料からは築城の経緯や築城主体については明らかではない。「日本城郭大系11巻」では北西部にほぼ隣接している補陀楽寺城を合わせて市場陣山城として扱っている。一方「甲賀市史第7巻」では夫々別個の城館跡としているが、実はその両者の距離は直線にして約50mほどど極めて近い。なお、かりに甲賀衆の持城であるとするならば、当地に在地支配者として影響力を行使していた大原氏の存在が浮かび上がるものと考えられる。また在地勢力によるものでないとすれば、佐々木六角氏に関連した遺構である可能性も想定されるのではないだろうか。しかし、あくまでも当時における政治状況からの想定に過ぎず、その何れも同時代の一次史料の裏付けはない。
 なお、「日本城郭大系11巻」では「大原同名中与掟条々」における他国商人に対する当地での活動妨害を禁じた旨の条文の存在から、織田信長によって廃城とされたとする口伝の傍証となるという旨の解説が記されているが、「同条々」が作成されたのは永禄13年(1570)であり、未だに甲賀、伊賀方面に勢力を蓄えた佐々木六角氏がその反攻の機会を窺っていた時期でもあることに留意する必要があるものと考えられる。

確認可能な遺構
 堀跡、土塁、郭(削平地) ※堀跡の水路は見えるが、他は竹林が叢生し見えない。
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2017年12月11日 15時10分から15時30分
訪城の記録 記念撮影

 竹藪
 現在でも竹林奥には土塁などが存在しているらしいのですが、西に水路、北にJR草津線の軌道、東に民家宅地に囲まれた区画であり、しかも竹林の細い道路沿いには伐採された竹が横渡しにされるなど明らかに立入を禁ずるような様子が窺えたました。
このため肉眼での観察は困難でした。このため水路の西側に廻りこんだり、JR草津線の北側に移動してみたりしたのですが、やはり竹林内の地形は確認できません。また最後には甲賀市駅から草津方面へと向かう列車内から大きく目を凝らしてみましたが、やはり視界は雑木林に阻まれており肉眼での確認は困難でありました。
( 2018/1/28 )記述
市場陣山城
市場陣山城 −画像A−
( 2017年12月11日 撮影 )
 画像右手に続く南側の竹林方面から拝見することは困難でしたので、水路西側の分譲地に回り込み遠景を撮影したものです。撮影時点ではこのような見通しが確保されていましたが、以前から宅地化されていた場所を分譲したもののようでしたので、いずれこの方面から遠景を拝見することも難しくなるものと考えられました。なお画像左手の土手はJR草津線の線路です。

市場陣山城の航空写真画像
市場陣山城の航空写真画像 −画像B−
( 国土地理院航空写真より編集加工 )
 1963年1月撮影の国土地理院航空写真を使用したもので、おおむね赤枠内が市場陣山城跡と推定されますが城跡はJR草津線の線路により南北に分断されています。また現在線路の北側部分は工場、店舗、住宅などが建ちならび城跡としての面影は全く感じられません。また南東方向に細長く伸びた林のような部分も伐採などを含む地形改変が行われています。なお、より撮影年次の古い在日米軍撮影の画像は撮影高度が高いことなどの事情があり、無償ダウンロードの範囲からは鮮明な画像を得ることはできませんでした。なお、補陀楽寺城は赤枠左上隅の位置に所在しています。

訪城アルバム
凸1 竹林
 この竹林の奥(北側)の方に土塁などが所在している模様ですが、12月という時期であるにもかかわらず肉眼ではその姿を確認するには至りませんでした。

凸2 杣街道方面から
 城跡の南側を通る杣街道側から撮影したものです。画像中央の林が城跡部分です。。

凸3 堀跡の水路
 城跡に関連する堀跡と推定されている水路です。この水路の左側部分に城跡の遺構である土塁が所在しているらしいのですが、12月の中頃でも木々などに阻まれ肉眼での観察は困難でした。水路幅は約1mほどですが左側に渡ることのできるような場所は見当たりません。むろん私有地内でもあることから、こうして外観を拝見するのが限度であるように思えました。

凸4 JR草津線甲賀駅
 駅南口の様子で近年建てなおしが行われて橋上駅となりました。1階の右側のスペースには休憩室を兼ねた地場産業でもある医薬品の展示コーナーが設置されていました。

凸5 北側から
 JR草津線の北側に回り込み線路越しに撮影したものです。手前部分には柵が設置されており、むろん線路内に立ち入ることはできませんのでこれが限界です (^^ゞ

交通案内


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いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「日本城郭全集」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)記述なし
「日本城郭体系第11巻」(1980/新人物往来社) ⇒ 解説あり
「図解近畿の城郭第1巻から第4巻」(戎光祥出版)記述なし
「近畿の名城を歩く 滋賀・京都・奈良編」(2015/吉川弘文館)記述なし
「近江の山城ベスト50を歩く」(2006/サンライズ出版)記述なし
「近江城郭探訪 合戦の舞台を歩く」(2006/サンライズ出版)記述なし

歴史・郷土史関係
「角川日本地名大辞典25滋賀県」(1979/角川書店)
「甲賀市史第2巻第7巻、第8巻」(/甲賀市) 縄張り図付の解説が収録されている
「和田惟政と甲賀武士」(2008/和田晋次著) 甲賀諸氏に関する記述に詳しい
「戦国武将合戦事典」(2005/吉川弘文館)
「日本史広辞典」(1997/山川出版社)
「戦国大名家辞典」(2013/東京堂出版)

史料、地誌、軍記物
「甲賀郡志 復刻版」(1978/名著出版)

その他
国土地理院地図および航空写真

更新記録
・2018年1月28日 HPアップ
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