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埼玉県の史跡・古戦場の索引へ戻る 常泉の代官屋敷傍の小田霊社常泉の代官屋敷のバナー常泉の代官屋敷跡
1歴史・伝承   2残存遺構   3訪城記録・記念撮影   4アルバム  5交通案内   6参考・引用資料  7更新記録
関連ページへのリンク
所在地
 埼玉県加須市常泉362
歴史、人物、伝承

名主代官屋敷跡
 小田家は本姓を福島氏とされ、江戸時代には常泉周辺の名主代官として屋敷を構え、明治維新以降に本姓である福島家に戻したものと思われます。本姓を有するという場合には、一般に天正18年(1590)徳川家康の関東入府以前の後北条氏が支配していた戦国時代において、有力な地侍階層(土豪)として存続していたであろうことも窺われるものですがその詳細は不明です。
 なお、「成田家分限帳」(「埼玉叢書」所収)には、「譜代侍 (永楽銭)57貫文 福島主計、25貫文 福島伊勢」などの記述も見えますがその関わりについても不明です。

文化財指定
 1964年9月17日 「小田熊太郎生地」として加須市文化財指定
訪城年月日
 2005年11月14日 
訪城の記録 記念撮影

 構堀を伴う旧家跡
 江戸時代の代官・名主の屋敷跡の敷地そのものは、現在は大手の物流倉庫の敷地となっていました。その南側の古い屋敷門の所在していたと思われる場所には、真新しい新しい銅板葺きの豪壮な屋敷門が建設されていました。(90年代頃までは近世以来の旧家の建造物が歴史のある屋敷門とともに現存していた模様です)
 その辺りの経緯がよくわからないので後日調査が必要かと思うのですが、西側と南側の一部には明らかに構堀の跡と思われる水路が遺されておりました。
(追記)加須市役所の担当課に確認したところでは、近年代官屋敷の子孫の方が新しい屋敷門を建設されたということで、また以前の代官屋敷は四方に構堀がしっかりと残されたものであったということでした。
                                                  ( 2010/03/31 記述 )

常泉代官屋敷 ⇒ 画像クリックで拡大します
常泉代官屋敷跡
( 2005/11/14 撮影 )

訪城アルバム
小田霊社 ⇒ 画像クリックで拡大します
名主代官屋敷の構堀跡 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 小田霊社
 小田熊太郎(1843−1864、本姓福島)は常泉村(現加須市)に生まれ、文武両道に励み越後、文久3年(1863)信濃(小千谷)、上野(沼田)で尊王攘夷(倒幕)の義兵に加わり潜伏、元治元年(1864)には天狗党の乱に加わり捕縛斬殺。その後幕末の勤皇の志士として靖国神社に祀られ正5位を遺贈された。
 この生家に近い小田霊社も同様の趣旨により建立されたもののようです。
凸2 常泉名主代官屋敷構堀跡
 屋敷門が所在する南側の構堀跡で、画像右側の道路部分についても、かつての堀跡であったものと推定されます。 々は現在の屋敷門の所在する部分を除き、東西80m、南北70mほどの四方を囲む構造であったことが窺えます。しかし既にこの探訪した時点においては、北辺と東辺の堀跡は道路となり消滅。南辺の西側の一部と西辺の用水路として形態を留めているに過ぎませんでした。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係


■郷土史・歴史関係
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)、「埼玉郷土辞典」(1966/埼玉新聞社)
「埼玉県の歴史散歩―歴史散歩11」(2005/山川出版社刊)、「埼玉県の歴史―県史11」(1999/山川出版社刊)
「かぞの歴史散歩」(1991/加須市教育委員会)
「加須の文化財」(1992/加須市教育委員会)
「加須市史通史編」(1981/加須市)

■地誌類・史書・古文書などの記述状況
「旧高旧領取調帳」(木村 礎 校訂 1969/近藤出版社刊)


■その他


・2010/04/24 HPアップ
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