( 2005/11/14 )
■香積寺
(旗本設楽氏の宝篋印塔)
香積寺の所在地と宝篋印塔は直ぐに見つかりました。しかし、この時点では日没までの時間が無かったことや設楽氏の陣屋跡の詳しい所在地が不明であったため、加須駅近くのに所在していたと思われる陣屋跡の場所には到達していませんでした。
( 2005/11/19 )
■パチンコ屋さんを撮影
さて、地図によると加須駅の北側にある繁華街に所在しているので、車を停めるべき場所を探すのに躊躇することが予想されていたこともあり、正直言ってアプローチするのを敬遠していました。
しかし、実際にはボウリング場の西側に所在するパチンコ屋さんの周辺が設楽氏の陣屋跡のようでしたので、ちょこっとだけその閑散とした駐車場に停めさせてもらって周辺の様子を撮影して即座に撤退。もっとも周辺の様子とはいっても、何のことは無いパチンコ屋の建物と駐車場のフェンスに設置された宣伝用のノボリバタがはためく写真に過ぎないのですが...。
このあと、鴻巣の「伝源経基の館跡」に行こうとも思いましたが、日差しはまだまだ明るいものの太陽の角度が大分下がってきているため、写真のコントラスト調整が難しくなることが予想されましたので、いつもの蕎麦喰いモードに切り替えて本日の訪城を終了した次第。
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設楽氏12代の宝篋印塔などが香積寺の墓地の一角の目立つ場所に所在していました。18、19世紀のものは別にして一見して年代の古そうなものは刻まれている文字が読み取りにくく、自分の能力ではどれが誰の宝篋印塔なのかはよく分かりませんでした。
( 加須市指定史跡 1956年4月16日指定 )
( 2005/11/14 撮影 曇 )
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■1■香積寺の本堂( 加須市馬内493 )
設楽氏第三代の兵庫頭貞清が創建したとされる曹洞宗永喜山香積寺。
画像クリックで現地解説板へ
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■2■通称「陣屋通り」と呼ばれている道路
この道路は加須駅の北口に向うメインストリートの一本西側の古い道で、左側のパチンコ屋さんの辺りに設楽氏の陣屋が存在していた模様ですが、加須市の駅から極めて近い場所でもあることから、大分以前からその面影は消失していたものと考えられます。
なお、2000坪程度の屋敷の広さは現代の感覚としては広いように思われますが、近世の名主階層の屋敷の中には加須市の市内だけでも3000坪を超える所が常泉(旧福島家)、油井ヶ島(上家)、南大桑(門井家)、下樋遣川地区(小林家)などに散見されるようです。また、武蔵野の新田開拓などでは自作農クラスの屋敷地で1500坪の広さのある場合も珍しくありません。
( 2005/11/19 撮影 晴れ )
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・東武伊勢崎線加須市駅北口のボウリング場西側 MapFan Web の案内図です
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