城館跡の目次 トップ頁へ戻る サイトの趣旨 城館跡の目次 HP雑記帳
参考資料等 リンク集 工事中
PAGEの先頭 PAGEの最後 管理人へメール 工事中

アクセスありがとうございます。     素人の趣味ですので不備や間違いなどが相当にあると思います。     もしお気づきの点がございましたらご指摘ください。  
城館跡の名称
関連ページのリンク  2005/10/28の日記  種垂城
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態3 探し易さ4 交通利便4 体力消耗5 歴史経緯1 印象1 総合21
所在地
埼玉県北埼玉郡騎西町上種足
歴史と沿革

種垂城と関連する遺構かと
 「小沼耕地遺跡」とその南側に続く「種足三番遺跡」は、騎西町の発掘などの調査により前方後円墳とその埴輪出土品を含む古墳時代の遺跡と共に、13世紀から17世紀にかけての中世の居館跡や日蓮宗関係寺院跡と想定されるような溝状の遺構や掘立柱建物跡、基壇状遺構が確認されているということです。
 「騎西町史通史編」などによれば、中世の居館跡は13世紀の鎌倉時代に種足に所領を宛がわれていた伊賀氏の代官に関するものではないかとの可能性を示しています。

確認できる遺構
なし
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■見沼代用水(旧星川)右岸の自然堤防上に位置し、遺跡の位置としては種垂城の北西に隣接していますが現地の地表の地形からでは全く分かりません。

参考資料、古文書、
記録

「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「騎西町史通史編」(2005/騎西町)
「騎西町史考古資料編1」(2001/騎西町)
「騎西町史考古資料編2」(1999/騎西町)   

文化財指定
訪城年月日
2005/10/28
訪城の記録

( 2005/10/28 )
独立した遺構かどうか...
 県立騎西養護学校の敷地の辺りらしくほぼ種垂城跡の北西に隣接していますので独自の中世以降というよりもその地理的な関連から種垂城との関連が想定されます。古墳などの遺構と並存していた模様ですが建物の建設などによりその面影は全く見られず、やっと周辺の水田との高さの違いなどを散見することで同時の様子を想像するくらいのことしかできませんでした。

記念撮影

 

 手前の畑のあたりが「種足三番遺跡」でその向の緑色の屋根が見える県立騎西養護学校の敷地が「小沼耕地遺跡」ということです。
 
( 2005/10/28 撮影 晴れ )
訪城アルバム
画像クリックで拡大します
■1■
 小沼耕地遺跡についての解説版が県立騎西養護学校の正門の脇に設置されていましたが、ご覧の通り植栽の枝が伸びて全部は読めませんでした。
画像クリックで拡大します
■2■
 「種足三番遺跡」とされる水田。ちなみに三番というのは識別するための番号ではなく小字名(小名かも)のようです。
画像クリックで拡大します
■3■
 種足の集落の柿の実。
 今年は柿の当たり年のようで、どの柿の木も大変よく結実しているように思われました。柿の花が開花するのは通常は5月か6月頃のようですが地味な小さな花のため、また観察力が鈍いこともありいまだかつて目にしたことがありません。
交通アクセス

・県道38号線東側の県立騎西養護学校とその南側
MapFan Web の案内図です  


工事中 PAGEの先頭 PAGEの最後 ご感想はこちらへ 工事中