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■1■皆野橋からの遠景
橋の先端に見えるの丘陵地帯が館跡と推定されているようです。「新編武蔵風土記稿」の記述によれば長さ30間、幅4尺の土橋を皆野村と共同で築造し互いの交通の便としていたとされていますが、増水時期の夏・秋には通行できなかった模様です。北側の赤平川の方も同様ですので、まして中世においてはこの2本の川筋の存在は自然の要害以外の何物でもなかったと思われます。
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■2■諏訪大神社
信州の諏訪神社の分社と伝わる神社で主祭神は建御名方命(たけみなかたのかみ)。信州の諏訪神社といえばあの「御柱」の祭礼が有名ですが、「秩父志」にその地名の由来が記されているように、この小柱の地名は「御柱」に因んだものと考えられているようです。(現地の神社解説板より)ただし、「武蔵国郡村史」によれば「古時尾端村と称し、天正の頃小柱村と改称す」と記されています。これをそのまま解釈すればおそらく後北条氏が支配した時代に村名が変更されたということになるのですが。
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■3■東側の荒川方面
この段丘のすぐ下方を県道44号線が通過しています。「1」の写真の「館跡」の個所から皆野橋方向を撮影したもの。なお詳細な経緯は不明ですが近年において、「秩父八幡」はこの諏訪神社に合祀されているようです。
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■4■諏訪神社裏の崖と赤平川
社殿の裏側は高さ30mほどの文字通りの絶壁を形成していました。
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■5■シシ垣か土塁か
イノシシ除けのためのものと思われますが、川原石を積み上げた100m以上はあろうかという石塁です。
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■6■薬師堂
「新編武蔵風土記稿」の記述によれば、かつては秩父氏所有と伝えられる古い鞍が収められていたとされる薬師堂と呼ばれる堂宇。
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■7■石塁上の祠
「皆野町史」では、児玉党に関わりの深い「金鑚権現」を祀る祠であるということが記されていましたが、この時の祠の中のお札には「琴平大権現」と記された真新しいお札が納められていました。「皆野町史 通史編」にはこのあたりを館跡の中心であると推定しています。
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