( 2005/08/06 撮影 )
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■推定樹齢400年以上の槙の大木が陣屋跡とされる昌国寺の向って右側の入口に屹立しています。
( 寄居町指定文化財 天然記念物 )
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■「水野十郎左衛門一族の墓」と記された昌国寺境内前の文化財表示板で、この場所が館跡の南辺にあたります。なお、幡随院長兵衛を殺害したとされる旗本奴で著名な水野十郎左衛門成之(〜1664没)とは遠縁のようですが全くの別人です。
この水野十郎左衛門は水野石見守忠貞といい、18歳で大阪夏の陣に加わり戦功を上げ知行7500国取の大身の旗本で大名役の伏見奉行・丹波郡代などを歴任し大和の忍海郡西辻村に陣屋を構えたもようで寛文10年(1670年)2月に没しています。
しかし、これ自体が文化財といってもよいほどの経年劣化がありありとにじみ出ていますなあ。( 寄居町指定文化財 ) |
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■西側の土塁は高さ1mから1.5mほどで空堀も深さは約1m程度で、幅も上面で2間ぐらいしかありませんので、後世に外側から一部埋め立てられたのかもしれません。
土地全体が手前、つまり北側の荒川方面に向って緩い傾斜がかかっています。 |
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■土塁の北東角部分を館跡の内部からから撮影したものす。 当時よりも大分低くなっているように思いますが、このあたりでも土塁の高さは内側で1mから1.5mぐらいはあります。 |
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■東側の土塁と空堀。このあたりの空堀の深さは土塁側で2.5mから3m弱、外側で1.5mほどありそれぞれ延長にして直線で100mほどの長さがあります。 |
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■左側と概ね同じ位置から北方向を撮影したもの。当日は晴天でしたが、竹林を始めとして樹木が叢生し昼間でも薄暗く、デジカメのストロボ撮影に加えて画面の明るさの修正が必要となりました。 |
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■向って右側が水野氏2代目の水野石見守忠貞のスケールの大きな宝筐印塔で、左側に3代から7代までの宝筐印塔が所在しています。
この墓の周囲にも高さにして1mほどの土塁がめぐらされていました。 |
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■初代の水野長勝墓石(左から2番目)、その母の墓石は右側の宝筐印塔で、両脇の五輪塔が長勝夫人と嫡男のものということです。水野家一族の墓所として寄居町の指定史跡とされています。
なお、現地の説明の記された標柱によれば長勝夫人は森蘭丸の実姉とのことです。 |
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