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埼玉県の史跡・古戦場の索引へ戻る 伝・古河城裏門伝・古河城裏門のバナー伝・古河城裏門
1歴史・伝承   2残存遺構   3訪城記録・記念撮影   4アルバム  5交通案内   6参考・引用資料  7更新記録
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所在地
 埼玉県加須市下樋遣川
歴史、人物、伝承

伝・古河城裏門
 明治初期(明治6年頃)にそれまで幕藩体制における地方権力の象徴であった近世城郭の廃城がすすめられていった。そうした動向のなか関東の要衝である古河城もその例外とはならず、多くの櫓、御殿等の建築物の解体がすすめられ、故あって樋遣村の旧家により買取られこの地に移築されたものといわれている。
 豪農層の長屋門とは異なる鉄鋲、兆番等の金物を始めとするその重厚な造りは、江戸城に次ぐ関東第2の規模を誇ったとされる土井氏8万石(幕末時)の搦め手を守る城門に相応しい風格を備えているように思われる。

文化財指定
 なし
訪城年月日
 2005年11月19日 
訪城の記録 記念撮影

 壮観な佇まい
 古河城の城門が屋敷門として転用されている旧家で、南側から拝見した屋敷塀と一体となった総延長は100m異常はありそうな造作の眺めは実に壮観そのものです。
 屋敷の敷地も利根川の水害から家屋敷を守るため水田よりも1m前後高くなっていると共に、北側部分には堀跡を兼ねた水路が現在も残され屋敷側の部分は一部土塁(後世の屋敷境か)のような地面の盛り上がりも散見されます。
 近世以前からの系譜があるとすれば間違いなく在地領主の居館のような規模と景観を呈していますが、残念ながらその辺りのことは余り明確ではないようでが、周囲にはこちらの旧家と同性のお宅も多く所謂本家筋に相当するお住まいであることだけは間違いが無さそうでした。

( 2010/03/31 記述 )
古河城城門(K氏宅) ⇒ 画像クリックで拡大します
移築されたと伝わる古河城城門
( 2005/11/19 撮影 )

訪城アルバム
北東部の用水路付近 ⇒ 画像クリックで拡大します
伝・古河城城門遠景 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 北東部の用水路
 北東部はこのような最大幅2mほどの用水路が鍵の手に流れておりました。その形状からは見方によっては鬼門除けの隅欠きと言えなくもない風情もありましたが、水害対策のため近世以降に行われた地形改変なのかも知れません。
凸2 城門の遠景
 かなり遠く遠くからでも目を引く光景に暫くの間は半ば茫然として見入っておりました。
伝・古河城城門近景の拡大画像へ
伝・古河城城門正面からの遠景画像へ 
伝・古河城城門正面からの遠景画像へ
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「日本城郭体系 4」(1981/新人物往来社)・「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)
「図説茨城の城郭」(2006/茨城城郭研究会/国書刊行会)
「城郭みどころ事典 東国編」(2003/東京堂出版)、「江戸三百藩 城と陣屋総覧 東国編」(2006/学研)
「国別城郭・陣屋・要害台場事典」(2002/東京堂出版)

■郷土史・歴史関係
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)、「埼玉郷土辞典」(1966/埼玉新聞社)
「かぞの歴史散歩」(1991/加須市教育委員会)

■地誌類・史書・古文書などの記述状況
■新編武蔵風土記稿
 記述なし
■武蔵志
 記述なし

■その他


・2010/04/16 HPアップ
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