( 2007/02/19 )
凸洪水対策の可能性も推定されますが..
確かにその外形から「土塁状の遺構」であることは一目瞭然。 然し「小川町史・考古資料編」において示唆しているような氾濫する河川の堤防代わりとしての構築物にしては些か中途半端な規模であるという印象も拭えません。
また他方中世の館跡であるとするならば立地条件としてはより安全な台地(「中城」)や山腹(「伝竹沢次郎館」)のような個所を選定するものと推定するのが自然なのかもしれません。なお、付近の南側には比高差2m弱ほどの河岸段丘も所在することから、いずれにしても支配階層に属すると思われる在地領主・有力農民が敢えてこの兜川沿いの微高地に館(屋敷)を構える必然性を欠いていることも確かなようです。
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蟹沢遺跡の土塁
( 2007/02/19 撮影 ) |
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凸1 付近には城館関連地名も
兜川に架かる八幡橋の北側には「内出」という城館関連の地名とされる小字名が存在しますので、なおさら単なる洪水除けの土塁扱いしてしまうのは実に勿体ないのであります。
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凸2 見れば見るほど立派な土塁
南側のこの角度から拝見し、南南東900mの地点には「中城」が所在していることなどを考え合わせるとますます城館との関連性を追及したくなる立派な土塁遺構なのでありました。
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・兜川の右岸、県道274号線八幡橋西側側約200mに所在し、目標物としては対岸に旭光学の工場が所在。
・いつもガイド の案内図です
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凸主な参考資料
「埼玉の中世城館跡」(1988/埼玉県教育委員会)・「関東地方の中世城館」2埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)「埼玉県史 別編4年表・系図」(1991/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣)・「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など
「小川町の歴史 通史編上巻」(小川町/2003編集発行)
「小川町の歴史 資料編2古代・中世1」(小川町/1999編集発行)
「小川町の歴史 資料編1考古」(小川町/1999編集発行)
「小川町の文化財」(小川町教育委員会/2001年編集発行)
・2007/06/16 HPアップ
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