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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2015/10/23のブログ 白幡神社 八丁目館 
所在地
 福島県郡山市日和田町梅沢字古屋敷、字上台
歴史、人物、伝承

国分玄
 梅沢の地は阿武隈川に西岸に所在する小規模な丘陵地帯であり、地名の由来は梅の木が多い土地、梅の木が生えていた沢を開拓したことに由来するともいわれている。( ⇒ 「相生集」より) また安積三郷の最北である上郷東部に所在し、鎌倉期以降には安積伊東氏の一族により治められていた時期があるものと考えられる。
梅沢の地は「蒲生領高目録」によると、321石余りの石高が記されているものの、さほど大きな集落ではなく小規模な在地領主階層の居館が存在していた可能性を示唆するものといえるのかもしれない。
戦国時代末期には下記の阿武隈川東岸の田村氏勢力の前線である鬼生田館地域と対峙していた時期が存在していた事情が窺え、渡しの存在も想定される両館の距離は阿武隈川を挟んで約1キロメートルという指呼の間において軍事的緊張関係が続いた時期が存在していたことは想像に難くないものと考える。
なお、「中世城館調査報告書」(福島の中世城館跡)では「高倉近江守臣国分玄蕃」の名を記し、「日本城郭大系」では「国分内匠」の居館としているが、これは上記の時代よりも少しのちの状態を表しているものと考えられる。

確認可能な遺構
 (発掘)調査などにより平場、堀とともに石臼が確認されているという
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2015年10月23日 
訪城の記録 記念撮影


 眺望はいまひとつ
 10月末のこの時期梅の木は目立たなかったが阿武隈川の支流に沿った高さ10メートルほどを測る崖線の存在が中世城館の存在を窺わせる景観を呈示していました。
 当地は戦国時代の天文年間における三春田村氏と安積伊東氏勢力の境目に相当し、阿武隈川東岸にはその当時田村氏の戦略拠点のひとつであった鬼生田館が所在し、西岸には安積三郷最北の上郷東部の前線であるこの梅沢館が対峙するような位置関係で所在していました。
 しかし東岸の鬼生田館方面からの眺望の良さに比較すると、阿武隈川支流の小さな谷を挟んで対峙する梅沢館側からの眺望は決して優れているとはいえず、地形上の欠点を抱えていたとも考えられます。
 現在では地表上に確認できる遺構は乏しく、おそらくは主郭であろうと推定される丘陵の最高地点には真言宗延命寺が所在しています。

( 2017/01/09 記述)

梅沢館の遠景 ⇒ 画像クリックで拡大します
東からの遠景
( 2015/10/23 撮影 )
訪城アルバム
東側の丘陵 ⇒ 画像クリックで拡大します
丘陵東麓を流れる小河川 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 東側の丘陵
 この丘陵の存在により梅沢館からは阿武隈川東岸の鬼生田方面への眺望が利かなくなっておりました。
凸2 丘陵東麓を流れる小河川
 水田への用水と合わせて天然の堀としても機能していたのかも知れません。

丘陵を縦断する公道 ⇒ 画像クリックで拡大します
延命寺の地蔵尊 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 丘陵を縦断する公道
 この道路の建設に当たり発掘を伴う調査が行われたものなのかも知れません。奥に見えるコンクリート構造物は館跡の東側を南北に縦断している東北新幹線の高架橋です。
凸4 延命寺の地蔵尊
 真言宗豊山派白幡山延命寺の参道脇の地蔵尊ですが、宗派と寺号を記録しておくためのメモです。

延命寺本堂付近 ⇒ 画像クリックで拡大します
字の表示 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸5 延命寺本堂付近
 たぶんこの本堂辺りが館の中心部のような感じがいたしますが、切岸のようにも見える斜面以外には、これといって目立った地形は確認できませんでした。
凸6 字の表示
 丘陵の北側の字名表示は丘陵上の古屋敷に対して新屋敷というようです。

柿の実 ⇒ 画像クリックで拡大します
鬼生田への案内標識 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸7 柿の実
 丘陵北麓に所在している民家の納屋近くに生っていた柿の実ですが、探訪時の記憶を呼び覚ますためのものでとくに意味はありません ^^
凸8 鬼生田などへの案内標識
 自分のように初めて訪れる者にとっては、たいへんありがたい標識です。単に字名だけでなく旧町名である西田町の表記も助かります。
交通案内


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いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図
凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
・「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島」(2002/東洋書林) ⇒ 記載あり
・「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社) ⇒ 記載あり
・「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)記載なし

歴史・郷土史関係等
・「会津・仙道・海道地方諸城の研究」(1980/沼舘愛三編著/伊古書院)記載なし
・「郡山の城館−歴春ブックレット安積2」(2015/垣内和孝 著/歴史春秋社)記載なし
 ⇒ 地方紙である福島民友に2013年から2014年にかけて連載されていた記事を基に編集されたもので、安積地域に所在している約40か所の城館跡について略述している。
・「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店)
・「郡山の歴史」(旧版 2004/郡山市) ⇒ 記載あり(梅沢、古館(小館)) 、城館主/国分玄蕃
 応永11年(1404)の安積伊東氏一揆連判状では、この地に関連している人物として伊東氏の一族とされる「」の名が見られる。
・「郡山の歴史」(新版 2014/郡山市)記載なし
 近年における発掘調査の成果などを含むが、旧版で収録されていた中世の政治動向などが割愛されている部分もある。
・「三春城と仙道の城−三春城築城500年記念 平成16年度春季特別展図録」(2004/三春町歴史民俗資料館)
 田村地方(主に阿武隈川中流域東岸の三春田村氏支配領域)の村と城館に関して一覧表形式で約200か所近くを収録しており、■館の館主として■などの名を記している。
・「三春町史第1巻」(1982/三春町)
 故小林清治氏による田村氏の権力構造とその家臣団に関する論考などが収録されている。

史料、地誌
「積達古館弁巻ノ五安積郡」(「郡山市史8資料編」より)
 「梅沢村小舘 里老伝に城主国分玄蕃」との記述があり、近世に編纂された地誌に僅かに伝承が記されている。
・「文禄3年(1594)蒲生領高目録」(「郡山市史8資料編」より)
・「三春町史第7巻」(1978/三春町)
 戦国期田村氏の基本資料として欠かすことのできない「田村家臣録」「田母神氏旧記」などの資料を収録している。

その他(データベース、関係著書)
・福島県文化財データベース「まほろん」 ⇒ 掲載あり
・郡山市役所公式HPから「埋蔵文化財包蔵地マップ」 ⇒ 掲載あり
・「室町期 南奥の政治秩序と抗争」(2006/垣内和孝 著/岩田書院) 記載なし
 ⇒ 篠川・稲村公方に関する論考に始まり二本松氏、塩松石橋氏、、二階堂氏、岩城氏、芦名氏、白川結城氏・小峰氏、田村氏、伊東氏・相良氏の15世紀から16世紀の動向を詳細に記述するとともに、これらに関連する中世城館等についても概括的に論究している。
 このほか伊東氏をめぐるその系譜と伊東氏の主たる領地である安積三郷(五百川以南で藤田川以北の上郷、藤田川以南逢瀬川以北の中郷、逢瀬川以南笹原川以北の下郷) の同氏の支配関係を考察する論考も掲載されている。田村氏に関しては「田村家臣録」「田母神氏旧記」に関連して、田村氏の家臣団とその関連する城館についての考察がある。


・2017/01/09 HPアップ
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