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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2015/07/29のブログ 水神館 久保田山王館 
所在地
 福島県郡山市富田町字日吉ヶ丘(旧字山王館か)
歴史、人物、伝承

富田一族との関わり
 天正16年6月の郡山合戦時の伊達氏側本陣とも伝わる久保田山王館はここから東南東約3kmの地点に所在している。
 「富田ふるさと町史」によれば、旧富田町には安積伊東氏一族とされる富田氏本願の地とも考えられる向館を中心として、出雲館、赤沼舘、瓜坪館、備前館、桝形館、小林館などを合わせて富田八舘があったいう。
 そのうちのひとつに山王館があるとされ、「山王館(字町内17)伊東主膳天正の頃居館」とも伝わるとも記されているが、この富田山王館を指すものであるのかについては分からない。

確認可能な遺構
 郭?、切岸?、神社縁起を記した石碑に富田氏の事跡に関する記述あり
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2015年7月29日 午前10時40分から10時50分
訪城の記録 記念撮影

 妄想は果てしなく
 天正16年(1588)6月三春田村氏の後継者争いに乗じ安積方面に侵攻してきた総勢2万を超えるとも伝わる佐竹・蘆名勢に対して、伊達勢が寡兵(多くとも恐らく数千人規模か)を以て持ち堪えた「郡山合戦」(「窪田合戦」とも)が行われたとされています。
 郡山駅近くの久保田山王神社が伊達氏本陣ともされていますが、こちらも同じ山王神社でもあり中世城館跡のひとつと考えられていることから立ち寄りました。
 北側が台地へと続く比高差8メートル足らずの丘陵先端部に山王神社境内が所在しているのみで、明確な土塁などの遺構は確認できませんが、南側を向いた神社境内からは郡山市街方面が観望できる地理的環境にありました。
 郡山合戦当時の伊達、蘆名・佐竹両軍の配置状況からは、高玉城方面から出陣した可能性もある蘆名方の先方が伊達氏側の久保田山王館方面を窺ったというような可能性も考えられなくもありませんが、 無論妄想の域を出るものではありません。

( 2016/08/10 記述)
富田山王神社境内 ⇒ 画像クリックで拡大します
富田山王神社境内
( 2015/07/29 撮影 )
訪城アルバム
神社縁起を伝える石碑 ⇒ 画像クリックで拡大します
富田山王神社境内 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 神社縁起を伝える石碑
 この神社縁起の碑文からは、富田山王神社の所在地は3度ほど移転していると伝わるようです。
 永禄年間の移座の際にその当時領主であった富田主膳義祐が関わったとされていますが、詳しいことは分からないと記されています。
凸2 富田山王神社境内
 神社境内は上下2段の平場が現存していますが、明治14年の移座に伴う神社建立の際に普請されたものか、それ以前からのものかは分かりません。
 南方の逢瀬川までは直線で500m足らずの距離であり、南方を監視するに適した立地条件となっていました。
交通案内


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いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図
凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島」(2002/東洋書林) ⇒ 「山王館」として記載がある
「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社) ⇒ 記載なし
「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社) ⇒ 記載なし

郷土史関係等
「会津・仙道・海道地方諸城の研究」(1980/沼舘愛三編著/伊古書院)
  ⇒ 記載なし、ただし別途「富田館」の記載があるがその関係は不明。
「郡山の城館−歴春ブックレット安積2」(2015/垣内和孝 著/歴史春秋社)
 ⇒ 地方紙である福島民友に2013年から2014年にかけて連載されていた記事を基に編集されたもので、安積地域に所在している40か所の城館跡について略述しているが、この富田山王館は掲載されてはいない。
「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店)
 ⇒ 中世富田村に関する古文書類の記述が要領よく纏められ、天正17年(1589)2月20日には伊達氏に帰属した片平親綱の知行地となっていたことが分かる。
「富田ふるさと町史」(2004/郡山市・富田町合併50周年記念事業実行委員会)
 ⇒ 「山王館(字町内17)伊東主膳天正の頃居館」との記述があるが、この富田山王館との関連は不明。
「郡山の歴史」(旧版 2004/郡山市) 
 「積達古館弁」「積達館基考」「相生集」などから編集した「安積郡の城館」(表7)に「富田 山王館 城主不知」として記されている。

史料
「積達古館弁巻ノ五安積郡」(「郡山市史8資料編」より)
 「山王館 里老伝に城主不知、」とのみ記されている。

その他
福島県文化財データベース「まほろん」 ⇒ 「富田山王館」として掲載されている
郡山市役所公式HPから「埋蔵文化財包蔵地マップ」 ⇒ 「富田山王館」として掲載されている
「室町期 南奥の政治秩序と抗争」(2006/垣内和孝 著/岩田書院)
 ⇒ 篠川・稲村公方に関する論考に始まり二本松氏、塩松石橋氏、、二階堂氏、岩城氏、芦名氏、白川結城氏・小峰氏、田村氏、伊東氏・相良氏の15世紀から16世紀の動向を詳細に記述するとともに、これらに関連する中世城館等についても概括的に論究している。
 このほか伊東氏をめぐるその系譜と伊東氏の主たる領地である安積三郷(五百川以南で藤田川以北の上郷、藤田川以南逢瀬川以北の中郷、逢瀬川以南笹原川以北の下郷) の同氏の支配関係を考察する論考も掲載されている。


・2016/08/10 HPアップ
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