福島県内の市町村別城館跡の目次へ
トップ頁へ戻る 福島県内の市町村別城館跡の目次へ 画像掲示板へ 「ほっつきブログ」へリンク 頁の最後へ移動
 素人の趣味のため思い込みと間違いについては平にご容赦を。 お気づきの点などございましたらご教示いただければ幸いです。 
福島県西白河郡矢吹町の目次へ戻る
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009/04/07のブログ 三城目城
所在地
 福島県西白河郡矢吹町堰の上
歴史、人物、伝承

石川氏、白河結城氏との関わり
  笹目平館は袖ヶ城の西方約1.5km、旧大信村(現白河市)との境、釈迦堂川支流隈戸川左岸に所在する標高290mほどの低丘陵東端部に所在しています。
 当該城館跡については「日本城郭大系」のみならず「矢吹町史」などにも収録されていないもので、県教委実施の「中世城館調査」により別途その所在が確認されたものと思われます。
 当該調査に基づくものと思われる「福島県文化財データベース」の情報によりますと、標高320mを有する低丘陵の山頂部から東方にのびる丘陵先端部に所在しているものとされ、麓の水田面との比高差は約20mを示し、おおむね東西約300m、南北約200mの範囲に所在していることなどが記されております。
 また「角川地名大辞典 福島県」によりますと、城館名の「笹目平」(ささめだいら)および所在地名の「堰の上」(せきのうえ)の地名は当時の大和久村の小字名として明治15年の地籍図等に見ることができますが、これらが中世に遡る地名であるか否かについては定かではありません。
 なおその歴史的な経緯に関しては委細不明の模様ですが、恐らく戦国時代後期にはその地理的な条件から見る限りでは、石川氏あるいは白川結城氏等に帰属する在地領主階層の館として利用されていたものと想定することが妥当なものと考えられます。

確認可能な遺構
 なし(未確認)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年4月7日 13時40分から14時00分
訪城の記録 記念撮影

( 2009/06/15 )
 遺構未確認
 「福島県文化財データベース」によれば、耕地整理された水田地帯南部の丘陵地帯に空堀跡が所在するとの情報。 ところが北麓の畦堀のようにしか思えない溝部分を除けば、丘陵上には横堀、堀切、竪堀を含むいずれの地形も確認するには至らず。かくしてこの日も前日に続き、いささかモチベーションが低下傾向を示し始めてきたのであります。
 また当該丘陵地帯は周囲の丘陵地帯と比較しても標高が20m以上低く、南方に所在する大和久館の立地条件と比較しても眺望自体は決して良好とは言い難いものがあります。
 一方北側の谷を隔てた丘陵地帯などの周辺部には、当該城館よりも遥かに城館の立地条件として相応しいと思われる地形が数ヶ所ほど確認できましたが、藪の状況と足元の具合を勘案して即座に踏査を断念。

北側からの全景 ⇒ 画像クリックで拡大します
北側からの遠景 −A−
( 2009/04/07 撮影 )


(注) 「矢印と番号」は、だいたいの撮影地点と方向を示していますが厳密なものではありません。
「」 ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
東側の袖ヶ城方面からの遠景 ⇒ 画像クリックで拡大します
丘陵北側の溝状の地形 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 東側からの遠望
 戦国時代の末期に石川氏の影響下に置かれていたと推定される袖ヶ城の西方約1.5kmに所在しますが、その間に別の丘陵地帯が介在するために互いにその姿を認めることはできません。
凸2 丘陵北側麓の溝
 丘陵と農耕地の間にはL字型の溝状の地形が約100mほどにわたり続いていますが、その配置と規模から見る限りでは、どちらかといえばいわゆる畑の根切溝のように思えるのでありました。

北側麓の溝状地形 ⇒ 画像クリックで拡大します
東側の尾根筋 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 同溝状地形
 当該溝の規模は幅約2m足らずで、東側の浅い個所では深さ約0.8m、西側の丘陵斜面が迫っている個所では丘陵側で最大約2mを測ります。
凸4 丘陵東端付近
 さて肝心の丘陵上の方には、念のため尾根筋に沿って東西方向に移動してみたものの、明確に堀跡と呼べそうな地形を見出すことは叶いませんでした。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島」(2002/東洋書林)

郷土史関係等
「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店)
「矢吹町史第1巻通史編」(1980/矢吹町)
「目で見る矢吹町史」(1975/矢吹町)⇒ともに記述なし

史料
「白河風土記」「白河古事考」⇒ともに記載なし

その他
福島県文化財データベース
「室町期 南奥の政治秩序と抗争」(2006/垣内和孝 著/岩田書院)
 ⇒ 篠川・稲村公方に関する論考に始まり二本松氏、塩松石橋氏、、二階堂氏、岩城氏、芦名氏、白川結城氏・小峰氏、田村氏、伊東氏・相良氏の15世紀から16世紀の動向を詳細に記述するとともに、これらに関連する中世城館等についても概括的に論究している。

・2009/06/15 HPアップ
トップ頁へ 福島県内の市町村別城館跡の目次へ この頁の最上段へ移動