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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009/04/07のブログ 三城目城
所在地
 福島県西白河郡矢吹町三城目牡丹平
歴史、人物、伝承

伝・佐久間氏の居館
 「矢吹町史」などによりますと、応永年間(1394-1428)に白川結城氏の家臣となった佐久間三郎左衛門常秀の居館であったと伝えられているとのことです。佐久間氏はその後天正18年(1590)の豊臣秀吉の奥州仕置きにより帰農して、その子孫は矢吹村の庄屋を務め、その後明治時代に入り三神村の村長を務めたと言われています。(⇒佐久間家に先祖代々伝わる家伝のようなものか)
 なおそのあくまでも地理的な要素のみから考えますと、戦国時代末期には南西方向に所在する物見館とともに三城目城を本拠地とした中畑氏の影響下に置かれていたものと推定されます。また、周辺には関根館、猪合館と呼称される館跡も所在したと伝わりますがその詳細については不明です。

確認可能な遺構
 なし
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年4月7日 8時10分から8時25分
訪城の記録 記念撮影

( 2009/06/03 )
 あくまでも三城目城のついで
 タカナシ城(三城目城)へのルートの途中に所在するので立寄ったまでのことで、より正確にいえば一筆書きの要領で矢吹町内を可能な限り効率的に回ろうとした結果なのであります。
 この日の前日の夕刻に購入した 「矢吹町史」では牡丹平の丘陵地帯と記され、県教育委員会が主導した「中世城館報告書」では水田と集落が混在する丘陵地帯の麓に所在する西原集会所の辺りの平地を推定地としております。いずれにしても伝承地としての要素が濃厚な城館跡であることから、当初からそれ以上の詮索はしないものと決めておりました。
 西原集会所付近の様子は、下記の画像のように館跡としての形跡は限りなく皆無に近いものがあり、地形上だけの要素をとるとすれば、寧ろ小字中丸の集落北側小字本城館背後の丘陵の方が遥かにそれらしい地形を呈しているのでありました。一方牡丹平の丘陵地帯の方については、工場建設等のために地形の改変が著しい模様です。

佐久間館の推定地のひとつ ⇒ 画像クリックで拡大します
佐久間館の推定地のひとつ −A−
(むしろ向こう側の丘陵地帯が気になります)
( 2009/04/06 撮影 )


(注) 「矢印と番号」は、だいたいの撮影地点と方向を示していますが厳密なものではありません。
佐久間館推定地周辺部の地形 ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
小字本城舘西側の丘陵地帯 ⇒ 画像クリックで拡大します
小字本城舘西側の丘陵地帯 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 小字本城舘西側の丘陵(東側部分)
 物見館の東側に所在する小字本城舘西側の丘陵は「平坦で広大な山頂」「麓からの比高差約30m」「西側を除き眺望のすぐれた独立丘陵」という、誠に舘跡に相応しい地形的な要件を具備しておりました。
凸2 左に同じ(西側部分)
 しかし、このあとの予定行動、所要時間、残存体力、藪と荊の植生状況などを勘案してあくまでも麓からの観察に止めることに...何といっても福島県内の未訪問の城館跡は未だに残り2千か所以上も(苦笑)
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島」(2002/東洋書林)
郷土史関係等
「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店)
「矢吹町史第1巻通史編」(1980/矢吹町)

史料
なし

その他
福島県文化財データベース

・2009/06/03 HPアップ
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