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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/06/18のブログ 小浜城 宮森城
所在地
 福島県二本松市郭内4丁目(二本松城内)
歴史、人物、伝承

本城の南側に所在する拠点
 天正13年粟ノ須での騒乱事件を契機に伊達政宗は二本松城の攻略に取り掛かるが、殺害された二本松義継嫡子12歳の国王丸(梅王丸とも)を守り立て奮戦により優勢な伊達勢を撃退した義継の従弟新城弾正少弼(心安斎)の館跡とされている。本城(本丸)の南南西に隣接する搦手口以南の削平地付近と考えられ中心部分にはしかしその典拠と考えられる「積達館基考」では「旧本丸番ノ侍屋敷アリシ処也」と記され、「積達古館弁」の説を否定している。別名を本城に対し西城ともいう。
 なお中世城館跡としてはこのほかに「鹿子田館」、「松森館」(東城)、「簔輪館」、「本宮館」、「鳥井戸館」、「栗ヶ柵館」など、多くの二本松氏重臣の館跡が東側から南側にかけて山城の本城部分取り巻くように所在しているとしている。
           (「二本松市史 通史編(1巻)」等より)

確認可能な遺構
 郭、切岸、堀切?
文化財指定
 国指定史跡 2007年7月26日指定(二本松城としてのもの)
訪城年月日
 2008年6月18日
訪城の記録 記念撮影

( 2008/09/29 )
 一粒で2度美味しい
 縄張図などの基礎的資料を持ち合わせないことから、始めに市役所へ向い関係各課にて資料と情報を収集。 次に市立資料館へと赴き市史関係資料を入手。このあと定石通り簔輪門から二本松城内へ入城。後から確認したところでは、おおむね搦手口あたりから二本松少年隊の顕彰碑と千恵子抄の碑の建立された辺りまでの削平地が「新城館」の範囲に相当するものと思われます。無論訪れた時にはそうした詳細な情報については殆ど咀嚼してはおりませんでした。
  なお戊辰戦争関係の解説板等では、新政府軍の呼称は「官軍、征討軍」とは記さずに「西軍」との表記がなされていることが目立ちました。 考えれば未だ140年ほど以前の出来事故に、未だにある種の拘りがあっても然るべきかなどと納得をいたしました。二本松城と新城館、二本松氏と丹羽氏、中世城郭と近世城郭、智恵子抄と二本松少年隊など色々な意味で一粒で2度美味しい探訪となったのでありました。

「戦国時代二本松氏の新城館(二本松城の一部)」 ⇒ 画像クリックで拡大します
新城館跡の郭跡
⇒二本松城案内図
( 2008/06/18 撮影 )
訪城アルバム
「戦国時代二本松氏の新城館および二本松少年隊の顕彰碑」 ⇒ 画像クリックで拡大します
「二本松少年隊の顕彰碑」 ⇒ 画像クリックで二本松少年隊の拡大レリーフへ
凸1 新城館跡の解説板
 二本松少年隊の大きな顕彰碑と木製解説板の陰にそっと隠れるように立てられているのが新城館の解説板。つまりこの削平地が戦国期の佇まいを残すとされる「新城館跡」の中心部分に相当する模様です。
凸2 左に同じ
 二本松氏と新城館に関するものは左の画像のものだけで、こちらも二本松少年隊の事跡を七言律詩の形式で記した石碑(墓)。裏側にはブロンズレリーフによる奮戦の図も描かれております。

「千恵子抄詩碑」 ⇒ 画像クリックで現地解説板へ
「安達太良山」 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 千恵子抄の詩碑(1960建立)
 かの有名な「智恵子抄」(高村光太郎作)の詩碑ですが、この銅板が嵌め込まれた大石は二本松氏(畠山氏)がこの城を築城した際に生贄としたと伝わる夫婦の牛に因み「牛石」と呼ばれているそうです。
 公園整備などにより地形がある程度改変されている様ですが、おおむね「新城館」の南側付近に相当するともの思われます。
 因みに「あれが阿多多羅山 あのひかるのが 阿武隈川」との一節が記されておりました
    (「樹下の二人」智恵子抄より)
凸4 「あれが阿多多羅山(安達太良山)」
 二本松城の復元天守台より撮影した日没直前の安達太良山方面(たぶん)です。この時間は正面から撮影するとまともに逆光を受けてしまうために右手にある木立の陰を利用して撮影したものです。
 当たり前の話ですが夏至に近い時期とはいえ、既に午後6時過ぎという夕暮れの時間帯。天守台に佇んで日中の暑さを吹き払う心地よい風に吹かれるなどという物好きな散策者は管理人を除いては皆無なのでありました。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島」(2002/東洋書林)
「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社)
「ふくしまの城」(鈴木 啓 著/2002/歴史春秋出版)
⇒新城館の主である新城弾正少弼については「金華鈔」に基づき義綱夫人の弟であるの説を紹介している。
「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)
「日本百名城」(中山良昭/2004/朝日新聞社)
郷土史関係等
「図説福島の歴史」(1989/河出書房新社)
「福島県の歴史」(1997/山川出版社)
「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店)
「国史大辞典」(1986/吉川弘文館)
「日本史諸家系図人名辞典」(2003/講談社)
「ふくしま紀行 城と館 武者たちの舞台 上巻」(2007/福島民報社)
「二本松市史 通史編(1巻)」(1999/二本松市)
「二本松市史 資料編(3巻)」(1981/二本松市)

史料
「日本城郭史料集」(1968/大類 伸 編集)
 ⇒諸国廃城考、諸国城主記、主図合結記を所収本
「積達館基考」(「二本松市史 資料編(3巻)」所収)
 ⇒文政2年(1819)に二本松藩士成田頼直により編纂。安達・安積郡地域の古城館の由来などが、「積達古館弁」(安斎彦貴著)を補訂するという趣旨に基づき踏査・考証という実証的な姿勢で記され全7巻から構成され、第1巻から3巻が西安達郡、4巻・5巻が東安達郡、6巻・7巻が安積郡となっている。
「復刻版 奥州永慶軍記」(2005/校注 今村義孝/秋田無明社)
 ⇒ 戸部正直が元禄11年に稿了したとされる近世の軍記で、奥羽両国の旧記と古老の見聞直談を採集したとされる。復刻の元になった刊本は1966年に人物往来社から刊行されたもので、自筆本は存在しないことから写本および史籍集覧等を底本としている。

その他
福島県文化財データベース
二本松市役所公式HP
「室町期 南奥の政治秩序と抗争」(2006/垣内和孝 著/岩田書院)
 ⇒ 篠川・稲村公方に関する論考に始まり二本松氏、塩松石橋氏、、二階堂氏、岩城氏、芦名氏、白川結城氏・小峰氏、田村氏、伊東氏・相良氏の15世紀から16世紀の動向を詳細に記述するとともに、これらに関連する中世城館等についても概括的に論究している。
「史伝 伊達政宗」(2000/小和田哲男 著/学研)−− 「伊達政宗 知られざる実像」(1986)を文庫化したもの
「国史跡 県立霞ヶ城公園絵図」(パンフレット)

・2008/09/29 HPアップ
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