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水子御陣屋
関連ページのリンク  2004/12/23の日記      
所在地
埼玉県富士見市水子観音前3060
歴史と沿革

■ 「新編武蔵風土記稿」の水子村の項、「内川」(新河岸川)の個所に「此川に添いて、古城跡あり、何人の居城なりしや詳ならず、今は其名のみにて境界も定かならずと云....」との記述がみえる。
■また、「北条役帳」(小田原衆所領役帳)によれば水子村は後北条氏小机衆上田左近が120貫文で知行していたことが記されている。
 上田左近は松山城主上田朝直の一族でこのほかにも鶴馬村170貫文、難波田村150貫文、葛袋東松山市)25貫文、勝ノ内藤沢分6貫962文、福岡村難波田分で6貫文などを領地とし合計477貫962文を知行していたといわれている。
 したがって、この上田左近およびその一族、あるいはそれ以前の在地領主である難波田氏とその一族との関係も想定されるが、詳細については不明なもようである。
 また、水子の日蓮宗性連寺には上田周防守の銘文が刻まれた五輪塔があり、「新編武蔵風土記稿」によれば天正5年の没年が記されていたといわれているが、この人物と上田左近が同一人物であるかは判明していない。
■また「富士見市史」によると、「昔難波田城の出城があり、そこの武士が花見をしたと」の伝承があるという。

確認できる遺構
視認できるものはありませんでした。しいて言えば崖線がそのような雰囲気を残しています。
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■武蔵野台地の北東の先端部分にあり、北方約100mに新河岸川、南方約1kmに柳瀬川が東流し、西側を除く三方の水田地帯を睥睨できる位置に所在している。
 陣屋跡は小名城の下にあるといわれているが、国道254線バイパスの建設により崖線の先端部分が大きく削り取られており、当時の面影を残すものは殆どない。また、北北西約1.5kmに難波田城が所在している。

参考資料、古文書、
記録

「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「富士見市史 通史編 上」(1994年 富士見市教育委員会/編集・富士見市/発行)
「富士見市史 資料編2考古」(1986年 富士見市教育委員会/編集・富士見市/発行)発掘当時の記録、多門氏についての記述が詳しい。
「郷土ふじみ第2号」(1972年 富士見市郷土史同好会/編集・発行)
「富士見風土記」(1980年 富士見市教育委員会/編集・発行)
「神社と神々」(井上順孝監修 1999年/実業之日本社刊行)
「民間信仰辞典」(桜井徳太郎編 1980年/東京堂出版刊行)

文化財指定
訪城年月日
2004/12/23
訪城の記録

( 2004/12/23 )
国道のパイパス工事で...
  国道254号線バイパス沿いの洪積台地の先端に所在していたということですが、30年ほど前だと思いましたが、この道路工事によって崖の切り崩しなどが行われていますので、かなり地形が変わってしまっているものと思われます。
 また、崖線の先端部分は民家の宅地となっており、詳細な確認はできていません。農道沿いに僅かに土塁跡のような地面の高まりが見られるような感じもしますが、たぶん気のせいかも....という程度の状況でした。
 なお、この崖線を柳瀬川沿いに辿っていくと6kmほど南東に、もう少し有名な「滝の城」(所沢市)があります。
 この一帯は確か1970年だと思いましたが、台風のため柳瀬川の堤防が決壊して一面湖のような状態となった記憶があります。東上線の軌道の部分は高い堤状の上にあるので運休となることはありませんでしたが、柳瀬川の鉄橋を渡るときは上下線ともかなりの下り坂となるために、まるで湖の中に潜っていくような感じであったことを思い出します。おそらく洪水は3、4日退かなかったのではないかと記憶しています。
 このあと周辺の治水対策が進み、今ではそのようなことが無かったのかの如く高層マンションが立ち並んでいますが.....

Best Shot?



 陣屋跡付近に所在する「城の下観音堂」
 ( 2004/12/23 撮影 晴 )
交通アクセス

・国道254号線をさいたま市方面に向かって「岡の坂」の交差点の先にある左側の台地付近にあり、「城の下観音堂」が探索のポイント。東武東上線みずほ台駅、柳瀬川駅から共に徒歩30分。バス停「岡の坂上」から徒歩3分程度。 


( 2004/12/23 撮影 )

■陣屋跡のすぐ北側を流れている新河岸川。写真の左手方向が陣屋跡になるはずですが。
■新河岸川の堤防の脇にある観音堂のようなお堂。数年前に建てかえられたものですが、道路が複雑でこの場所に行くのはなかなか難しい。
■比高差7mほどの崖線が残る陣屋跡と思われる辺りですが、バイパスの建設により台地の崖線の位置と形状は大きく変わってしまっています。
 国道のバイパスなので祝日とはいえ通行量が激しく、この写真を撮影するのにかなり時間がかかりました。車の姿がファインダーから消えたのは、ほんの一瞬でその間隙をついての撮影....(^^;
■「岡の坂」の歩道橋から陣屋跡方面を撮影。陣屋跡は多分道路の部分とその左側の崖あたりのはずですが。
 
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