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北秋津城(大堀山館)
関連ページのリンク  2005/02/05の日記  滝の城    
おすすめ評価
訪城季節2 遺構状態2 探し易さ3 交通利便3 体力消耗5 歴史経緯1
所在地
埼玉県所沢市北秋津峰際353−1
歴史と沿革

■「所沢市史 中世資料」の記述によれば館跡の現地調査の結果に基づき「台地縁占地型式の単郭方形館跡」として捉えた上で、鎌倉初期の地方豪族の館として一般的であるとの理由により、築城年代を鎌倉初期であろうと推定している。
 その後14世紀の中ごろの南北朝の時代に大石信重が武蔵国守護代として多摩・入間13郷の領主となり、その館として利用された可能性があるという説も紹介している。また、後北条氏支配の時代にはその支城とされたという記録も紹介されているが、その史実としての詳細は不明のようである。(「武蔵野話」「山口詣」などの記録)
 なお、「写真集 所沢」では当初の築城主について武蔵七党の山口氏から分かれた荒幡氏、久米氏のいずれかの館ではないかとの説を紹介している。

確認できる遺構
二重土塁?、空掘?、郭?
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■所沢駅から南南東約1kmの高さ60mから70mの洪積台地の南端に所在し南側の比高は10mほどである。北側は平坦な地形で繋がっているため、遺構の二重土塁と空堀の防御施設が構築されていたものと考えられる。また東側の半分近くは住宅などの建設により、これらの遺構は消滅しているとのことである。
 なお、所沢市内の中世城館史跡は縮尺の大きい地図で見てみると柳瀬川沿いに西側から根古屋城、山口城、北秋津城、滝の城と所在しており河川渓谷沿いの丘陵・台地という立地条件が概ね共通していることが分かる。

参考資料、古文書、
記録

「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「所沢市史 通史編 上」(1991年/所沢市発行)
「所沢市史 文化財・植物編」(1985年/所沢市発行)
「所沢史話」(1974年/所沢市教育委員会編集発行)
「所沢の文化財と風土」(1977年/所沢市教育委員会発行)
「所沢市史 中世資料」(1981年/所沢市発行)
「所沢市史」(1957年/所沢市)
「所沢ふるさと散歩」(1973/所沢市立中央公民館発行)
「写真集 所沢」(1986年/所沢市発行)   

文化財指定
訪城年月日
2005/02/05
訪城の記録

( 2005/02/05 )
二重土塁は宅地開発で周辺を囲まれた傾斜地の薄暗い藪の中に
 2、3日前から地図で所在地の確認だけは怠っていなかったので柳瀬川に下る坂の途中の小高い落葉樹の塊がすぐに目に入り、間違いなく此処だなということを確信しました。しかし、まず当初の予想通りに車を止める場所が見つからず、まさかこの県道4号線の旧所沢街道に止めるわけにもいかないし、大型店舗の駐車場はかなり遠いし、ということで仕方なく幅員が6m位ある路地の端に駐車し小走りで訪城へ。
 しかし周辺をぐるっと一周してみたものの、人の入っていけるような道がありません。市内の旧家の方の裏山というか崖の所に所在しているのですが、北側は中層の集合住宅、西側はそれよりもやや小型の集合住宅、東側は建売住宅、そして南側は手前が月極めの貸駐車場駐車場となっている市内の旧家2軒で囲まれていました。
 北側の集合住宅の駐車場側からはいくらか見えるのですが、ちょっとかなり怪しい人になりそうで結局県道沿いから眺めて諦めることに。それでも県道沿いの崖を切り開いた跡のある小さな空き地のような駐車場の奥から、ほんの僅かですが二重土塁といわれている西側部分の様子を観察。土塁と思われる土の塊が左右に見えたような見えないような....残念ながら二重かどうかの判断がつきませんでしたが、なんとか土塁が存在していることを確認できました(^^)

Best Shot?
 「大堀」という呼称のある史跡はこれで3ヶ所目となり、自分の数少ない訪城の中でさえもかなり事例が多いようです。一番有名なものは埼玉県の史跡となっている川越市の「大堀山」ですが、今回の場合は比企郡滑川町の「大堀」( 別名「月輪館」 )と呼ばれる遺構と同程度に知られていない方ではないでしょうか。
 「大堀山館」という呼称を使用すると一々「所沢市に所在する方の」などというような説明が必要となるので、相応しい表現かどうか分かりませんがもう一つの呼称である「北秋津城」の方で標記しました。
 ( 2005/02/05 撮影 晴 )
交通アクセス

・旧所沢街道東側、北秋津の三叉路信号の南約100m。西武バス北秋津停留所から南へ徒歩3分。
MapFan Web の案内図です 


( 2005/02/05 撮影 )

■「郭跡」といわれる辺りだと思いますが、どこからどこまでがそうなのか詳しいことは分かりません。
 向かって右手の南側に傾斜し大きな崖を形成しています。館跡は東西約90m、南北最大約80mぐらいで東側のほうが地形の関係で狭くなっていたようです。
■よく目を凝らせば「左側木の根元あたりから中央部分にかけての藪の中に」なんとか土塁( たぶん北側のものだと思いますけど )が見えますが、肉眼でも注意して観察しないと判らないぐらいです。
 上半身だけでもちょっと失礼しようと思ったのですが、崖を切り崩してあるので背丈ぐらいの段差と有刺鉄線と茨のために掴み所がなく完全防御されていました(^^;
 
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