凸 見どころは本丸周辺
晩秋の日没はかなり早いので、午後1時までにこちらに到着する予定であったが、探訪が順調に進んだことにより早めの到着となりました。本丸の付近に駐車することも可能なのですが、元々徒歩により北側の外郭方面から順に回遊して白井宿方面へと向かうルートを想定しておりました。また時間にも多少の余裕が出てきたこともあり、城跡外郭北側の体育館に駐車し徒歩にて本丸方面へと向かうことになりました。一般に城域の広大な城館の場合には、経験上車で直行してささっと見学をしたりしますと、必ずと言ってもよいほどに結構見落としが発生したりします。
さて、そうは言っても宅地化が進んでいる北半分くらいにつきましては、残念ながら余り城跡としての名残りを感じ取ることができません。それでも北郭の東端に所在している城山不動尊(櫓台ともいわれている)の辺りからは、「三の丸」の堀跡を始めとして徐々に城跡らしい景観が目に入ってきました。尤も三の丸、二の丸の一帯は堀跡部分を除いて畑地が広がっていますが、さらに二の丸の堀跡を過ぎ本丸の手前辺りまで近づきますと、本丸桝形と共に整備された規模の大きい堀跡が目に入り、テンションも上がり自然と笑みが零れてくるのでありました。
( 2018/12/12 )記述
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白井城本丸堀 −画像A−
( 2017年11月26日 撮影 )
凸いちおう「三日月堀」の形状をしておりますが、15年ほど武田氏の影響下に置かれていたとはいえ、支配勢力の変遷が激しく、近世に入ってからの改修も加わっている可能性も想定されることから、あくまでもその詳細は不明です (^^ゞ
白井城の桝形 −画像B−
( 2017年11月26日 撮影 )
凸本丸桝形を北側から撮影したものです。子の石垣については太田道灌の助言があったという伝承もありますが、その石垣の形状と積み方からは16世紀末から17世紀初め頃と考えられているようです。
白井城の解説板 −画像C−
( 2018年月日 撮影 )
凸史跡の指定を受けたのは意外に新しく、平成16年3月に当時の子持村の史跡指定を受け、合併後には渋川市にそのまま継承されています。
白井城の桝形石垣 −画像D−
( 2017年11月26日 撮影 )
凸近世初期頃に改修を受けたと考えられている桝形門の遺構とされているようです。
白井城本丸北東部の堀跡 −画像E−
( 2017年11月26日 撮影 )
凸白井城の本丸から見て北東方向に所在している空堀と土塁の様子です。本丸切岸を始めとして堀や土塁の規模の大きさに目を見張りますが、戦国期白井城の様相をそのまま伝えているものであるのかについては分かりません。
白井城付近の航空写真画像 −画像F−
( 2017年11月20日 加工編集 )
凸いつものように、戦後間もない時期に当時の在日米軍が撮影した航空写真画像に加工を加えたもので、本丸以下の各郭群とこれを取り巻く堀跡の様子が明瞭に撮影されています。なお、方位は真上が北では無く、約30度ほど西方向に傾きますので、真上は概ね北北東の方角となっております。
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