■城郭関係
「日本城郭全集」(大類 伸 監修/1967/人物往来社) 掲載なし
「日本城郭体系第4巻」(1980/新人物往来社) ⇒ 「巻末一覧表」に掲載され「白井常忠の館か、のちに白井城の出城となる」とのみ記載されているだけである。
「群馬県の中世城館跡」(1988/群馬県教育委員会) ⇒ 「東鑑」に「白井常忠」の名が記されている旨を示唆しているが、これは「群馬の古城」を著した山崎一氏の記述によるものである。
「関東の名城を歩く 北関東編」(2011/吉川弘文館) ⇒ 出版年も比較的新しいが白井城に関連して「仁居谷城」の部分的な縄張図が含まれているのみである。
「ぐんまの城30選」(2016/上毛新聞社) ⇒ この時点では最も出版年が新しく縄張図も掲載され前項の資料と共に併読しておくと役立つ。しかし仁居谷城に関しては前書とほぼ同様である。
「群馬の古城 全3巻」(山崎 一 著/2003/あかぎ出版) ⇒ 所在地住所表記にやや誤りがあり情報もやや古くなっている。 本書を含む上記の5冊について白井城に関連して仁居谷城の縄張図が含まれているが、基本的には山崎一氏の作成した同図が元となっているものである。
当該城館跡に直接関連する記述ではないが、「白井の地名が史跡に現れるのは「東鑑」に「白井太郎常忠、文治6年(建久元年、1190年)4月19日、上野国白井河内分云々」と記され、河内とは卜部経房の嫡子河内守房忠であると白井伝説下(※「上毛伝説雑記」か)にいう」との記述がある。しかし、「吾妻鑑」(国立国会図書館デジタルコレクション)を閲覧した限りでは白井太郎常忠の名は確認できず、伊勢神宮造営に伴う役夫工米の納入に関して「抑上野国白井河内分去年冬・・・」(もっとも上野国白井河内分・・・)と記されているのみである。これは底本の異同などによるものなのであろうか。
■歴史・郷土史関係
「戦国軍記事典 群雄割拠編」(1997/和泉書院)
「戦国人名辞典」(2006/吉川弘文館)
「日本史諸家系図人名辞典」(2003/講談社)
「戦国大名系譜人名事典」(1985/新人物往来社)
「戦国武将合戦事典」(2005/吉川弘文館)
「日本史広辞典」(1997/山川出版社)
「戦国大名家辞典」(2013/東京堂出版)
「日本中世史年表」(2007/吉川弘文館)
「角川日本地名大辞典」(1988/角川書店)
「戦国史 上州の150年戦争」(2012/上毛新聞社)
「上野の戦国地侍」(2013/みやま文庫)
「上野武士団の中世史」(1996/みやま文庫)
「戦国大名」(2014/平凡社)
「戦国関東の覇権戦争」(2011/洋泉社)
「戦国北条氏と合戦」(2018/戎光祥出版)
「上杉憲政」(2016/戎光祥出版)
「増補改訂戦国大名と外様国衆」(2015/戎光祥出版)
「両毛と上州諸街道」(2002/吉川弘文館)
「真田街道を歩く 改訂版」(2015/上毛新聞社)
■史料、地誌、軍記物
「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
※高崎城大意、上州古城塁記、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収
「上毛古城塁址一覧」(山崎一氏/編纂) 城主は不明とされ白井城の支堡とのみ記されている
「上野国志」(毛呂権蔵著/毛呂権蔵著/1974影印本)
同書によれば、「村岡忠通7代の孫、長尾景煕は康元元年(1256)初めて白井庄を与えられた」とされ、これを以て白井長尾氏の発祥とも考えられているらしいが、この仁居谷城に関する記述は確認できない。
「上野志」(上野志料集成1/1917歓呼堂本店※旧世良田小学校蔵書第63号)
同書によると、「白衣 白井の中将とて、昔流人住居す。後長尾伊玄入道(※長尾景春)居城といふ」との記述も見られるが、この仁居谷城に関する記述は確認されない。
■その他
「マッピングぐんま」(群馬県遺跡データベース) ⇒ 所在地の確認に役立つ。
「国土地理院航空写真」 ⇒ 戦後間もない時期に撮影されたもののなかには、その当時の地形を把握できるので役立つ場合もある。
「加沢記」(国立国会図書館デジタルコレクションより ※ダウンロード可能)
「吾妻鑑」(国立国会図書館デジタルコレクションより ※ダウンロード可能)