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群馬県吉井町の城館索引へ戻る  塩川城西側の大沢川 塩川城のバナー 塩川城西側付近
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/011/05のブログ 河内城 高の砦
所在地
 群馬県高崎市吉井町塩川字平館(旧吉井町)
歴史、人物、伝承

武田氏の西上野攻略により落城とも
 永禄6(1563)年正月に武田信玄は3万5千の軍勢を率い西上野へと侵攻し、多勢を以て一郷山城、多比良城(新堀城)を攻略。その勢いを以て河内城を始めとして白倉(⇒白倉城か)、塩川(⇒塩川城か)、天引(⇒天引城か)、馬庭(⇒馬庭城か)、本郷(⇒本郷城か)、小幡(⇒国峰城か)など9か所の小城を攻略すべく軍議を諮った。塩川城主菅野間(菅沼とも)大膳は河内城主牧野丹蔵英一とともに信玄の元に使者を送って徹底抗戦の意思表示を行ったが、僅かな城兵と共に暫し抗戦し寡兵のため落城したという。
 以上については、あくまでも長野氏の視点に立って近世初期に編纂されたといわれる「箕輪軍記」によるものであり、その後の箕輪城の落城時期などに史実との食い違いの見られることも指摘されている。しかし塩川城の歴史的経緯については、「吉井町誌」をはじめとする関係資料にも「箕輪軍記」よりの引用が記されているに過ぎない。
 なお黒田基樹氏によれば、武田信玄による一連の西上野進攻は永禄4年に始まり、永禄9年9月に至り箕輪城の長野氏を滅亡させた旨を明らかにされている。別名を「塩川旧塁」(上州古城塁記による)ともいう。

確認可能な遺構
 なし
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年11月5日 12時20分から13時00分
訪城の記録 記念撮影

( 2011/01/04 ) 記述
 俄か鉄道ファン
 「城逢人」管理人史進殿の情報を頼りに到着。情報通り正しく城跡としての形跡・名残りは何も無く、低下する一方のテンションを維持するのに一苦労したことを思い出しました。城跡の南部に屋敷門を有する旧家の存在以外には歴史を感じさせるような景観に余りにも乏しい光景でありました。ほかに目立つものといえば魚料理店、派手な印象の中華料理店などの存在であり、城跡として推定される範囲は一般の住宅等々により概ね宅地化されておりました。なお、ここで昼飯抜きの空腹を解消すべく「ラーメン+餃子3皿」が脳裏に去来。しかしここは日没までの残り時間と体重管理を優先することに。
 予定通り西側の防御ラインであった大沢川と南側の寺院跡に所在する地表段差の見学に切替えると、折りよく2両連結の上信電鉄のカラフルな車体が時速40kmほどでコトコトと目前を通過しておりました。この日は連写機能を多用し、たびたび俄か鉄道ファンへと変貌を遂げていました。未だに汽笛が鳴ってから列車が接近するまでの時間の長いことを克明に記憶しております。
※2年以上前の探訪なので、肝心なことを忘却し無関係な事柄を記憶しています。


塩川城西側の大沢川 ⇒ 画像クリックで拡大します
城跡西側の大沢川
( 2008/11/05 撮影 )
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1979/新人物往来社)
「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)

■郷土誌・歴史関係
「吉井町誌」(1969/吉井町)
「中世吉井の城館跡」(1991/吉井町教委)
「吉井町の文化財ガイドブック」(2006/吉井町郷土資料館)
「角川日本地名大辞典 群馬県」(1988/角川書店)
「多野藤岡地方誌」(1976/多野藤岡地方誌編集委員会)
「戦国期東国の大名と国衆」(2001/黒田基樹 著/岩田書院)所収の「武田氏の西上野経略と甘利氏」より
 ⇒武田信玄による永禄年間の西上野攻略の経緯について略述されている。
「武田信玄合戦録」(2006/柴辻俊六 著/角川書店)

■史料・地誌関係
「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 ※高崎城大意、上州古城塁記(宝暦年間頃の著作とも)、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収
「上野資料集成」(1917/煥釆堂本店)  ※上野志、上州古城塁記、上毛国風土記、伊勢崎風土記を所収
  ⇒「菅沼大膳三孝が居城し、武田信玄に攻略された」旨の記述がある。
「箕輪軍記」(1976/関東史料研究会)
 ⇒近世初期に記されたと考えられている軍記物で、長野氏の滅亡、箕輪城の落城の経緯等について記されている。


・2011/01/04 HPアップ
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