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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/01/11のブログ 平井城 瀬戸の城
所在地
 群馬県多野郡吉井町大字多比良字中ノ原876ほか
歴史、人物、伝承

俯瞰される地形
 平井城の支城とされる堀幅3mから4m、内郭の一辺が約75mの単郭方形の城郭で、すぐ西側の対岸に所在する「瀬戸の城」と同様に平井城と新堀城の間を繋ぐ連絡のための拠点として捉えられています。その余り実戦向きとは言い難い簡易な構造などから、短期間の使用であるとの可能性を示唆していますが、この城郭に関する歴史的経緯等の具体的な史料については確認されていないとのことです。(「中世吉井の城館跡」および「吉井町の文化財ガイドブック」より)
 立地条件に関しては、「瀬戸の城」と同様に河川の合流地点の台地上に所在しているため、地形としての独立性は南側の台地続きを除けばある程度確保されていることが窺えます。しかし北側のゴルフ場が所在する尾根筋からはほぼ完璧に俯瞰されてしまう地形のため、防禦拠点としての優位性は余り望むことができないものと考えられます。

確認可能な遺構
 なし(1988年の土地改良事業の耕地整理により消滅)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年1月11日
訪城の記録 記念撮影

( 2008/01/11 )
 遺構はなくとも山城の眺望は抜群
 「瀬戸の城」の谷一つ隔てたすぐ東側の舌状台地北端に所在。遺構そのものは以前の土地改良事業の耕地整理により完全消滅したとのこと。このため桑の切株、畑のための石積みなどを撮影して即座に終了。この訪城での数少ない収穫として、瀬戸の城と同様に驚くほど平井城、平井金山城に近く、直線にしてそれぞれ1.5kmほどの至近距離であることが判明したこと。瀬戸の城からは樹木の生育などにより些か見えにくいのですが、かつてこの中ノ原城が所在した平坦な台地上からは、一郷山城、八束城そして平井金山城などがほぼ遮るものなしに一望。かくして遺構との対面が叶わずとも結果的には満足のゆく訪城となりました。



桑の古株がのこる耕地整理により消滅した「中ノ原城」
中ノ原城跡
北側のゴルフ場の丘陵からは確実に俯瞰されるという問題が
( 2008/01/11 撮影 )
訪城アルバム
画像クリックで拡大します
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凸1 新堀城方面の台地
 遺構そのものは皆無でしたが、新堀城と平井城、平井金山城の相互の位置関係、および中ノ原城と瀬戸の城の両城がこれらを結ぶ直線上に所在していることなどを確認することができたことは大きな収穫。

平井金山城、一郷山城、八束城、牛伏山方面
一郷山城、八束城、牛伏山方面を更に拡大したもの
凸2 畑の石垣
 20年ほど前に耕地整理を実施しているということですので、残念ながらおそらくは遺構とは無関係な畑の土留めのための石積かと思われます。石の切り出しそのものは新しくはなさそうに見えましたが、平井金山城の櫓台付近の石積みと対比しますと余りに雑然として一目瞭然の感も。しかし、その肝心の平井金山城の更新が依然として未了なのであります。
交通案内

・県道41号線沿い、「瀬戸の城」の東方約200m

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)・「日本城郭体系 4」(1979/新人物往来社)
「吉井町誌」(1969/吉井町)・「中世吉井の城館跡」(1991/吉井町教委)・「吉井町の文化財」(2000/吉井町教委)
「吉井町の文化財ガイドブック」(2006/吉井町郷土資料館)・「角川日本地名大辞典 群馬県」(1988/角川書店)


・2008/02/27 HPアップ
・2008/03/07 画像リンクエラー訂正
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